今とても眠いような気がするので、比較的はやく起きたのだろう。
思い出した。灰野敬二と話し込み、サングラスとったら案外やさしい顔してて、嬉しくなって電話番号の交換していたら、やかんの水をかぶって目が覚めたんだった。これがほんとの寝耳に水である。おねしょではない。
今日こそ深沢七郎研究に手を付けよう、と思っていたが、大里俊晴boxが届いてしまったことで今日一日が大里さんに捧げられてしまうことになるのでした。アーメン。
大里boxは本当にすばらしい。本当にゴミだけど、素晴らしい。 みんな、こういうのにお金をかけないといかんぞ。通勤通学暇つぶしを酔わしてくれる、感覚的な音楽の「消費」もいいけれど、ふと立ち止まってしまうようなものを受け止める「浪費」として音楽を捉えると、世の中がどんどん広がっていくぞ!
ところで、音楽の姿勢を評して「プライドがない」とか言う人がいるみたいだけれど、まぁそういう人間は、なめられるような音楽をしてるもんだから、そう思われても仕方ないけれど、消費の音楽に接近してる人間はプライドを捨てよう捨てようとして音楽をつくってたりするんじゃないのか。別にプライドなんかどうでもいいけれど、そこで「プライドがない」と言うのもなぁ。そういう人は田中小実昌とか読めない。
大里boxはそういうことを考えさせられるくだらなさが満載で、僕は大好きだなぁ〜。6500円もしたけど、それも含めて(?)、嬉しくなる。
大里boxを聞いていると、大里の追悼文集が、今までまあいいかと思っていたけれど、大里box聞いていると、欲しくなってきたので、ガケ書房に買いにいきます。ついでに図書館で古井由吉の新刊「蜩の声」を借ります。(読む時間なさそう)
帰りがけ、京大で学祭がやっていた。うーん良い季節だ!好き屋でおろしぽんず牛丼を喰って帰る。今日もありがとうございました。
大里のboxをひたすら聞いていると、クーラーが壊れたことも相まって、プチ模様替えをするために、コタツを出した。 コタツはいつも立てて、洋風テーブルとして使っていたのだが、コタツにしようと、思い立ったのだ。
コタツは本当にまったりする。下がフローリンだから固いけれど、やっぱりいいものだ。座っていると、なんか腰がいたくなるけれど、まったりするなぁ。なんか書こうとしたけれど忘れたなぁ。コタツだなぁ。
工藤冬里のピアノソロでも聞いて一日をさよならしましょう。
さよなら、さよなら、さよなら…。(淀長)
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