10/31
庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』についての文章を書く。この小説は何というか気持ち悪いが、そういうのが大学生の思考プロセスを上手く書けているといえるのだろうか。11:00起床。今日は割とみんな優しかった。姫も誕生日だった。それだけでいい日なんだよなぁ。いつも本当に緊張するんだけど。イマイチ慣れない。
夜の七時頃からライブハウスでださい服で鍋大会をするということをみんなでした。思ったよりレベルが高くてとても面白かった。全体的にホモパンクがトレンドだった。鍋もうまくてそうなると酒も進む。久しぶりに会う人も多くて、そうなるとやっぱり幸せだなぁ。
山本精一の『ラプソディア』は羅針盤の『むすび』と感覚は似ているような気がする。どちらも山本精一とドラムで作っているからか。でも『プレイグラウンド』とは違う。『むすび』は山本精一とチャイナしかいない世界になっているようで、究極のラブソング(!)集みたいになってる。『ラプソディア』はそこからラブを抜いた(チャイナじゃないから)冷めた構築の『むすび』みたいになっていて、そう思うと終わっていることから出発しているとも言ってもいい。同じ構成でも『プレイグラウンド』は違う。あれは無作為というか相当リラックスして作ってる。山本精一の曲はどれもリラックスしているといえばそうだけど、『ラプソディア』とか羅針盤とかを無作為とは言えないような気がする。あれは構築されてる。
ポップということでハイポジ(hi-posi)を持ち出すこともあるだろうが、それを聞いてるからポップスがいける、みたいなことは、早川義夫が好きだからポップスが分かっている、と言ってるような違和感がある。ハイポジはポップの前にオルタナだし、それはJポップのオルタナで、渋谷系のオルタナということになるのだと思うが、つまり、そういう形式を借りて全く違うことをやろうとしているというところが彼女の良さで、僕はそれが凄く好きだ。その全く違うことは、彼女が今提唱している『ガーリー風水』ということになると思う。『ガーリー風水』的な「かわいいアンビエント」みたいなのが彼女の姿勢で、曲もどんどんそういう風になっていった気がする。あのふわふわしたトラックは「かわいい」と思うけどポップスではない。ポップスというにはあまりにも「かわいい」。「かわいい」すぎて逆に感情的なノイズがえげつないと思う。
ポップスを持ち出して評価する時は、僕はそれをオルタナとして評価することが多い。それは、例えば「名盤解放同盟」みたいなもので、あそこで解放された音は現在の消費体系とは全く関係ないし、ポップスの系譜としてそこまで組み込まれていない。だから、その音を、今、持ち出してきたことに意味があるし、 その行為がオルタナだと思っている。そういう感じでポップス面白いと思うことはあるけれど、ポップス自体をポップス自体で面白いとは僕は思えなくて、それは僕の欠点でもあるけれど、歌謡曲しか参照点がないのはどうかと思う。かと言って僕はアンチポップスじゃないし、例えば僕はミニモニ。(これはもはやポップスじゃないかもしれないけれど)が好きだし、ユーミンもはっぴいえんども好きだし…。ただ、判断中止的にポップスしているものはよくわからない。
こういう催しは本当に面白いからどんどんやってほしいなぁ。ちょっとステージに立たせてもらってリクエストがあった「おれはさむらい」と「ひる」と、初おひろめの「のぐそのうた2」を弾き語らせてもらう。そういうことをさせてもらえるのも本当にありがたい。
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