2011年11月14日月曜日

11/13
ああ。13日だ。
今日は天井での活動だけに終始した感がある。

小島信夫の『書簡文学論』を読む。

最近夢をよく見るようになった。というか単にものすごく寝るようになっただけの話かもしれないけれど。夢だから変な夢を見るのは当たり前なんだけれど、僕の夢ななんとも微妙だと思う。ぶっ飛んでたり、ファンタジーだったり、殺したり殺されたりという夢は見ないけれど、なんだか本当に気持ち悪い夢を見る。それは別に悪夢という訳ではないのだけれど。端的に言って僕の夢はなんだかよく分からない。夢と言うものは概してそういうものなのだろうけれど。

今日は上司的存在の人とサウナっぽい、真っ暗な、いささか宗教的なオーラを感じさせるような、それでいて当然そこにあるというような(夢の中の意識は概してそういうものかもしれない)ところでお話をした。そんな風にしていたら妻をおまえたちに寝取られるのは時間の問題だ、みたいなことをその上司的存在は言ってた。

昨日は友達がインド人と遊ぼうとして、インド人の店めちゃくちゃにして、追いかけ回されたので、泣きながら「僕就職活動するわ」といって消えていった。その後僕は軽くなって飛んだ。

夢を語ると言うことは、言葉によって夢を表現している訳だから、言葉にした時点で夢は夢じゃない。夢は記号でも構造でもない。夢をそういうものにしてしまうと、どこかありきたりな部分が残る。それは、なにも表現していないことと一緒だろう。ただ、そういう夢みたいなことを、言葉にするという行為には何か欲望や何かがあるのだろうし、そこに例えば精神分析とやらが発生することは分かる。 夢を言葉にするものというのはどれくらいまで夢と関係があるのだろうか。夢ということにしておいて、何か語らざるを得ないようなことを語っているのだろうか。

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