10時ごろに起きる。10時ぐらいなので、ブランチということでしゃれこもうと思い、丸二定食へフライ盛りを頼みに行く。丸二にはひさかたぶりの人間もいて、話し込む。
隣のグループの会話がゲスかった。東京にいる19歳と付き合っているらしく、膣内射精したら妊娠してしまった。ゴムなし挿入のリスクが7%だとると、なかだしは17%で、ゴムだと5%(!?)になるらしい。しょうがないなぁ、と思いながらフライを食べる。
美術館で、印象派・ポスト印象派展があったので見に行く。この企画は、神企画だった。こんなにスゴい絵ばかり並んだ展覧会を見たことがないような気がする。クールベ、マネ、ドガ、モネ、ルノアール、ロートレック、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホなど、スゴすぎてシャレにならない面子であり、興奮した。
「日傘の女性、モネ夫人と息子」という絵は、本当に風をつくってしまっていた。モネの「太鼓橋」もすごくよかった。「太鼓橋」に描かれているのは、もはや、どこでもない。睡蓮はどこへも浮かんでしまっている。情報として絵で見ると、その絵のコンセプトや構造が分かり、これこれはこういうことだよね、と語ることができる。「日傘〜」の絵は前々から知っていたが、さわやかだなぁ、と思った。実物を見ると、空調が変わっていた。これがベンヤミンが言う、アウラ(オーラ)というやつだろうか。空気が、具体的に変わっていた。
私がびっくりしたのが、カサットで、私ははじめて知ったが、この人の絵は、なんともおかしな気持ちになり、びっくりした。基本的に絵画の特性は、ルビーやダイアモンドと同じように、宝物性みたいなのがあって、アリババのような人に持ち去られてしまうものだとすると、カサットの「青いひじ掛け椅子の少女」を例えば家に飾る、という人はどういう人なのだろう、という感があったが、今調べてみると、カサットは女性である。
美術館をこんなに堪能したのは久しぶりである。その後、図書館で大橋裸木の第二句集『生活を彩る』を読む。書庫から出してもらったその本は、とてもボロくて、まさに生活感が出ているとても良い本だった。大橋裸木はいい。一般的(?)な日常生活の場に留まりながら、自由律に詠む句の存在は、どこかおかしく、オーパーツであり、こういうものは生活への問い直しもしてしまう。そういう表現は根っこな気がする。
ジュウマントンという古本屋さんで、保坂和志さんが来るというので、向かった。そこに普通に保坂さん がいたので、いろいろ止まるかと思った。保坂さんはまず比較的講演っぽいことをしゃべった。(第一部)出来上がっている小説は、その小説を作るために、何通りもの小説の原稿用紙を丸めてそこらへんに捨てている。それは、出来上がっている小説は、その出来上がっている小説だけで出来上がっているわけではない。それはつまり、小説は、私たちは一部を読む。その小説の背後には何通りものプロセスがあり、物語のヴァリエーションがひしめいている。小説というのはそういうものであり、そのような背後こそがおもしろいのだ、と言っていた。まるで山本精一やジムオルークだとか、ジャズとかブルースみたいだ。
第二部はお酒を飲みながら始まった。保坂さんは本当に気さくでいい人で、どんどん話す。下世話な話やダジャレみたいなことも話す。 周りの人も個性的で、袈裟を着て、丸坊主で、毎週教会に通っている、PL学園卒の人は、本2pを30秒で読む。保坂さんのサラリーマン時代の同輩は、季節の記憶の本当にいい飲みだった。本当に楽しい。本当に楽しいから、やっぱりお酒を呑んでしまう。「白鶴まるはパック酒の中で本当に上手いよな!」と保坂さんがおっしゃったので、「いや、マジでうまいですよ〜。パック酒は僕はうまくないものだとてっきり思っていましたけれど、実はフルーティーで、白鶴まるはいけますよ!これぇ、すごい!」と申し上げると、「当たり前だろぅ〜。何年行きてるんだよ!」とおっしゃられた。時々サザンやブルーハーツなどを口ずさみ、「ブルーハーツは古典だよぉ!」と言ったり、桑田は歌が下手になったがそれは練習をしなくなったからだ。変わらない人間がいる、それは山下達郎だ!なんとか、いろいろ思い出して胸が詰まる。
その後、保坂さんたちとカラオケに行った。僕はテレサテンの「つぐない」を延々と歌わしてもらった。
0 件のコメント:
コメントを投稿