2011年11月13日日曜日

野田

11/12
三浦清宏の『長男の出家』を読む。家族の諸相が上手く描けていた。磯崎憲一郎を私小説化すればこういう風になるのか、と思った。三浦清宏は小島信夫と半年同棲していたらしいし、そういう事もあると思う。

田中小実昌『ポロポロ』の残りを読む。さすが、本当に面白かった。最後の2編は物語を名指しして意識しながら戦争を描こうとしている。

従軍した人の口が重いのは、その体験がものすごく悲惨であるからだ、という前に、そこでの体験をことばにする方法がないからなのかもしれない。そこでの「事実」を「物語」にすることはできるかもしれないけれど、「物語」にすることは、そのことを伝えることにはならない。その体験をあえて伝えようとするには、「事実」が「物語」と化すことに意識しながら、ポロポロ語っていくしかない。そうしてできたこの小説を、僕はつっかえながら読み、レクイエムと文字とを往復した。
 と、僕は書いた。事物を「物語」として認識しても、その事物は永遠に分からないのではないか。その事物をあえて伝えるためには、こういう書き方しかないのではないか。

深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』を拾い読みする。この人も本当に面白い。かわいい。周りの人物、石原慎太郎でも、かわいく見える。そういうのは実はかなり力のある文章というか、批評の核となる何かを持っていないと書けない文章だろうな。

森敦の『浄土』を読む。彼は本当に良い文章を書く。美しい文章を書く。僕は小説を読むのが苦手で、情景が上手く浮かぶことがないが、いつのまにか、彼のフィールドに入り込んでしまっているのでびっくりする。 非常に大変な人である。他に類がない。

ここまでが朝の8時で、その後、僕はものすごく寝てしまった。自分は友達と変な国に居り、セミナーを受け、恍惚としてる現地人にたかり、彼の店につれてってもらう。友達がその店でめちゃくちゃしたので追いかけ回されたため、坂道を駆け下る。友達はそれに懲りて、「僕、就職するわ」といって消えていく。すると僕は軽くなって宙に浮く。最終的には毒の葉っぱを食べて墜落する。その毒の図解の解説が最後にあって目が覚める。

そんな夢を見ていたら、一日が終わってしまった。

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