11/29
遅くに起きた。昨日はなんとなく、コーヒーをのんだせいか、眠れなかったので、仕方がないと言えば仕方がない。それにしても、最近は一人でいると、全然生産性がない。といっても、そろそろやらなくてはならないことの期日も迫り、好き勝手に呑みにいったりライブを見に行ったりすることはできない。そろそろ腹をくくらないと。
丸二食堂で、丸二定食を食べようとするが、今日のメニューはソーセージがあったので、いっつも食っとるから、変わったものを食べようと思い、カキフライ定食を頼み、カキフライというものを初めて食べる。これが、うまいですなぁ。フライやのに、そのまま潮の味がする。ああ、海に行きたい。温かい、南のほうの、四国とか九州あたりの海に行きたい。おかげで満腹になりました。今日もありがとうございます。
深沢七郎についての本を読んだり、天井という音楽ユニットの、楽曲を編集する作業をしたりして過ごす。今日の夕食は半額(150円)で手に入れたアジの刺身であります。今日もおいしいです。どうもありがとうございます。
エアコンが故障した事件がありましたが、あれは、僕が元の電源を切っていたから、つかなかったみたいです。だから、故障じゃないです。 今日はそのことに気づけて良かった。
もう少し、本を読んでから寝ます。
2011年11月29日火曜日
2011年11月28日月曜日
11/28
11/28
ライブハウス「ネガポジ」で目覚め、その頃には日が明るかった。しゅーさんと飯を食って、帰るという、いわゆる、いつものパターン。
少し眠る。
今週はライブばかり見て、呑みまくってしていた感じだったので、今日は銭湯でゆっくり過ごし、毒を出す。
ぼぅーと、やっぱりテニスコーツよかったよなぁ、とか思いながら、いろいろ余韻に浸る。
工藤冬里(マヘルの主宰)の詩集が届く。ありがとうございます。ぼちぼち読ませていただきます。
今日は半額のおさしみとカボチャの天ぷらで夕餉。とてもおいしくいただきました。ありがとうございます。
聖書の引用が多かったので気になっていたけれど、どうも工藤冬里はクリスチャンらしい。マヘルのコミューン的なラディカルさだとか、それは、疎外されても仕方がないようなものなのだけれど、その、その演奏をそのまま全肯定して、スタッフにバカにされるほど(それがバカにされても当然なんだ!)、危ういけれど、それゆえすごいポップ性を獲得してしまい、そういう様のどうしようもなさが強い感動を生むのだけれど、冬里の目に移る、その一回性の美しさ、取り返しのつかない、それは具体的にマスターオブミステイクの称号(?)を貰うことになる目だけれど、ことを全面的に支持する姿勢は確かに宗教的でもあり、それはとりさらわてしまうこと、社会、文化システムの前提から、始めからなかったことにされてしまうような世界を汲み取ることになるわけだから、工藤はここで、すべての世界線を肯定して、無限の可能世界、こうであったかもしれないその曲、演奏を見ているのだろうな。とことんスカムでポンコツなんだけれど。
小説のマスターピースが一つ出来上がる、それを例えば雑誌に掲載したり、本にしたり、つまり世に出る。そうやって発表された小説の裏には何枚も、反古にした原稿用紙がある。これは違うと、ゴミ箱入りした物語がある。だけれど、その、完成された小説は、そういう反古になった物語を想像させるようなものでなければ嘘だ。小説はそのように反古にして反古にしてマスターピースを目指していく運動体のことだからだ、と保坂和志さんはおっしゃった。 工藤冬里は、これのゴミ箱入りした音楽を、ひっくり返して、パッケージしている。それがいいことなのか、わるいことなのか、僕にはわからない。
ライブハウス「ネガポジ」で目覚め、その頃には日が明るかった。しゅーさんと飯を食って、帰るという、いわゆる、いつものパターン。
少し眠る。
今週はライブばかり見て、呑みまくってしていた感じだったので、今日は銭湯でゆっくり過ごし、毒を出す。
ぼぅーと、やっぱりテニスコーツよかったよなぁ、とか思いながら、いろいろ余韻に浸る。
工藤冬里(マヘルの主宰)の詩集が届く。ありがとうございます。ぼちぼち読ませていただきます。
今日は半額のおさしみとカボチャの天ぷらで夕餉。とてもおいしくいただきました。ありがとうございます。
聖書の引用が多かったので気になっていたけれど、どうも工藤冬里はクリスチャンらしい。マヘルのコミューン的なラディカルさだとか、それは、疎外されても仕方がないようなものなのだけれど、その、その演奏をそのまま全肯定して、スタッフにバカにされるほど(それがバカにされても当然なんだ!)、危ういけれど、それゆえすごいポップ性を獲得してしまい、そういう様のどうしようもなさが強い感動を生むのだけれど、冬里の目に移る、その一回性の美しさ、取り返しのつかない、それは具体的にマスターオブミステイクの称号(?)を貰うことになる目だけれど、ことを全面的に支持する姿勢は確かに宗教的でもあり、それはとりさらわてしまうこと、社会、文化システムの前提から、始めからなかったことにされてしまうような世界を汲み取ることになるわけだから、工藤はここで、すべての世界線を肯定して、無限の可能世界、こうであったかもしれないその曲、演奏を見ているのだろうな。とことんスカムでポンコツなんだけれど。
小説のマスターピースが一つ出来上がる、それを例えば雑誌に掲載したり、本にしたり、つまり世に出る。そうやって発表された小説の裏には何枚も、反古にした原稿用紙がある。これは違うと、ゴミ箱入りした物語がある。だけれど、その、完成された小説は、そういう反古になった物語を想像させるようなものでなければ嘘だ。小説はそのように反古にして反古にしてマスターピースを目指していく運動体のことだからだ、と保坂和志さんはおっしゃった。 工藤冬里は、これのゴミ箱入りした音楽を、ひっくり返して、パッケージしている。それがいいことなのか、わるいことなのか、僕にはわからない。
ルーティ
11/27
起きたら真っ暗でびっくり。日の沈むのの早さと、そのための独特の暗さに不安を覚える。人はこういう時に世界の滅亡を考える。僕は一日が崩壊したことを知る。
ネガポジというライブハウスに、今ちゃんさんから誘われていた、例のバンドを見に行く。
今日のバンドセットはとても楽しかった!三組とも、僕をどこかべつのところに運んでくれてしまった。ありがとうございます。
ネガポジでも呑ませていただきました、ありがとうございます。佐伯さんと北さんはまたしてもネガポジに遊びにきてくれたみたいで、みんなで、多いに盛り上がる。
起きたら真っ暗でびっくり。日の沈むのの早さと、そのための独特の暗さに不安を覚える。人はこういう時に世界の滅亡を考える。僕は一日が崩壊したことを知る。
ネガポジというライブハウスに、今ちゃんさんから誘われていた、例のバンドを見に行く。
今日のバンドセットはとても楽しかった!三組とも、僕をどこかべつのところに運んでくれてしまった。ありがとうございます。
ネガポジでも呑ませていただきました、ありがとうございます。佐伯さんと北さんはまたしてもネガポジに遊びにきてくれたみたいで、みんなで、多いに盛り上がる。
ルーティ
11/26
今日こそは深沢七郎の研究に着手しようとしたが、コタツにくるまり、流れてしまう予感。
長谷川四郎の短編集『鶴』の「張徳義」を読む。古本で買ったので、前の持ち主がこの一編にコメントをつけている。
今日はテニスコーツが同志社にくるみたいなので、見に行く。よかった…。テニスコーツは、この同志社の学祭の喧噪のなかで、かすかではかなげで、同志社の学生さんは、おしゃべりがすぎたのだけれど、だから、テニスコーツを取り囲む環境と言うのは本当に厳しいのだな、マヘル閥はこんなものと対峙して、なんとかしていかないといけないのか、その中で披露してくれた「タマシー」は泣いた。
ライブ後、バンバンボリーズの佐伯さんと合流して、ビスケットを食べながら、彼の友達のバンドを見に、木屋町のライブハウスに。客のウケをよくわかっていらっしゃる人たちばかりで、大いに笑った。
ラーメンを食べた後、ライブハウス『ウーララ』が経営する飲み屋で大いに呑む。 そこで北さんと合流してさらに呑む。メソポタミア文明のマネを命じられる。
その後、カラオケまで行き、さらに呑む。いつのまにか朝になってしまっていた。佐伯さんのCDをレンタル屋に返して、帰る。
今日こそは深沢七郎の研究に着手しようとしたが、コタツにくるまり、流れてしまう予感。
長谷川四郎の短編集『鶴』の「張徳義」を読む。古本で買ったので、前の持ち主がこの一編にコメントをつけている。
どうしてこんな悲しい小説を今読まなくてはいけないの。人間って一体何。家族って何。生きるってどういうこと。いっそ一人で生きているなら、たまらない孤独に陥ることはあっても、こんなにも悲しいことはないだろう。なぜならそれは所詮は自分一人のことなのだから。私はもう二度と誤りたくはなかった。それなのに何故、運命は私をいたぶるのか。 57.11-8まさに、広大な、大陸に、対峙して、消えてしまった、という小説だった。 だから、感情が残るというよりも、人間が、おるわ、というのを見ている。
今日はテニスコーツが同志社にくるみたいなので、見に行く。よかった…。テニスコーツは、この同志社の学祭の喧噪のなかで、かすかではかなげで、同志社の学生さんは、おしゃべりがすぎたのだけれど、だから、テニスコーツを取り囲む環境と言うのは本当に厳しいのだな、マヘル閥はこんなものと対峙して、なんとかしていかないといけないのか、その中で披露してくれた「タマシー」は泣いた。
ライブ後、バンバンボリーズの佐伯さんと合流して、ビスケットを食べながら、彼の友達のバンドを見に、木屋町のライブハウスに。客のウケをよくわかっていらっしゃる人たちばかりで、大いに笑った。
ラーメンを食べた後、ライブハウス『ウーララ』が経営する飲み屋で大いに呑む。 そこで北さんと合流してさらに呑む。メソポタミア文明のマネを命じられる。
その後、カラオケまで行き、さらに呑む。いつのまにか朝になってしまっていた。佐伯さんのCDをレンタル屋に返して、帰る。
2011年11月26日土曜日
11/25
大分寝坊した。景気づけに王将にいって、取り返そうとしたが、お腹いっぱいになってねむたくなってしまった。
一体僕はなにをやっているんだろう。
友達が淡路島あたりを旅行してきたらしい。短歌を見せてくれた。彼女の見せてくれた短歌は、普通に読んでもバシッときまるようなもので、古典の教養を伺えさせる。さらに、折句(たてよみのスゴい版)であ、わ、じ、し、ま、を忍ばせるなど、技巧派であり、宝石のような短歌だったので、感心してしまった。
気づくと、自転車がなくなっていた。どうやら、このあたりは祭りを行うらしく、指定の場所まで移動したらしい。授業受けにきただけなのに、ひどい!結局その日は自転車を見つけることができなかった。
後輩に会ったので、ちょいと呑みにいく。久しぶりのビールはうまい!まぁ一週間前にベロベロにつぶれてしまっているので、そんなに久しぶりでもないのかもしれないけれど。その後輩は、バウハウスとジョイディビジョンとフィッツジェラルドとフロイトにハマっているそうだ。セリーヌとベルンハルトと中原昌也を読みなさい!と、ガラにもないことを言う。
後輩は、一旦広島に帰るらしい。広島とかうらやましい。僕も温かい所に住みたい!
財布はスッカラカンになったけど、もう少し呑もうと思いたち、i氏に電話したけれど、バイトがあるそうだ。そもそも自転車なしでどうやって呑みにいけるのか。その後、夢を見た。i氏がバンドを組み、ぼくはサインウェーブで参加することになったが(sachiko Mみたいな)、i氏がマヘルの曲をやりだしたので、プチ予想外で感動した。かといって、サインウェーブに譜面をつけるなんて、(しかも二曲目と三曲目しかない)ひどいじゃないか!
ところで、坂本慎太郎のソロアルバム、『幻とのつきあい方』が良すぎる。そこまでゆらゆら帝国の熱心なリスナーではなかったのだが。空洞の後の世界を歌っているからかだろうか。坂本チンは終わりからスタートしたのか。その姿勢は買うぞ!
大分寝坊した。景気づけに王将にいって、取り返そうとしたが、お腹いっぱいになってねむたくなってしまった。
一体僕はなにをやっているんだろう。
友達が淡路島あたりを旅行してきたらしい。短歌を見せてくれた。彼女の見せてくれた短歌は、普通に読んでもバシッときまるようなもので、古典の教養を伺えさせる。さらに、折句(たてよみのスゴい版)であ、わ、じ、し、ま、を忍ばせるなど、技巧派であり、宝石のような短歌だったので、感心してしまった。
気づくと、自転車がなくなっていた。どうやら、このあたりは祭りを行うらしく、指定の場所まで移動したらしい。授業受けにきただけなのに、ひどい!結局その日は自転車を見つけることができなかった。
後輩に会ったので、ちょいと呑みにいく。久しぶりのビールはうまい!まぁ一週間前にベロベロにつぶれてしまっているので、そんなに久しぶりでもないのかもしれないけれど。その後輩は、バウハウスとジョイディビジョンとフィッツジェラルドとフロイトにハマっているそうだ。セリーヌとベルンハルトと中原昌也を読みなさい!と、ガラにもないことを言う。
後輩は、一旦広島に帰るらしい。広島とかうらやましい。僕も温かい所に住みたい!
財布はスッカラカンになったけど、もう少し呑もうと思いたち、i氏に電話したけれど、バイトがあるそうだ。そもそも自転車なしでどうやって呑みにいけるのか。その後、夢を見た。i氏がバンドを組み、ぼくはサインウェーブで参加することになったが(sachiko Mみたいな)、i氏がマヘルの曲をやりだしたので、プチ予想外で感動した。かといって、サインウェーブに譜面をつけるなんて、(しかも二曲目と三曲目しかない)ひどいじゃないか!
ところで、坂本慎太郎のソロアルバム、『幻とのつきあい方』が良すぎる。そこまでゆらゆら帝国の熱心なリスナーではなかったのだが。空洞の後の世界を歌っているからかだろうか。坂本チンは終わりからスタートしたのか。その姿勢は買うぞ!
2011年11月25日金曜日
11/24
けだるい感じ。寒いから、けだるい、という感じにもならないもならないのだが。
コタツに入ってボーとしていると、友達からスカイプが来た。そのままスカイプでセッションをした。こんなことが出来るんだね!
その後、ずっとyoutubeで、白石民夫の演奏を聞いていた。このアルトをどうならせばこんなようわからん鳥みたいな音が出るんだろう、なぜこんな音を路上や地下鉄で毎週やっているんだろう、だとか、このパフォーマンスの存在は意味不明出所不明なところがあって、つい笑ってしまうんだけれど、こういうあまりにも都会的な場所に、バチッっとはまってしまっているのを見てしまうと、グッと来る。そういう意味では海童道祖や阿部薫なんかとも全然違う。なにより、彼はかわいい。
今日は会う友達みんながみんな風邪をひいている気がするので、みなさんも気をつけてください。
帰ってきて、午前中のセッションの編集と、天井の作業。天井は夜中までつづきましたとさ。(もっとやらなあかんことがあるような気もするが。 )音楽作業をすることは睡眠に近い。そういう催眠的なを作ってるのが原因かもしれないが。大谷さん、素材3、素材10、素材11、俺は天才、俺はきめ細やか、ファイアー点火、noguso no uta(when i'm thinking nogusoのほう)を仕上げる。
けだるい感じ。寒いから、けだるい、という感じにもならないもならないのだが。
コタツに入ってボーとしていると、友達からスカイプが来た。そのままスカイプでセッションをした。こんなことが出来るんだね!
その後、ずっとyoutubeで、白石民夫の演奏を聞いていた。このアルトをどうならせばこんなようわからん鳥みたいな音が出るんだろう、なぜこんな音を路上や地下鉄で毎週やっているんだろう、だとか、このパフォーマンスの存在は意味不明出所不明なところがあって、つい笑ってしまうんだけれど、こういうあまりにも都会的な場所に、バチッっとはまってしまっているのを見てしまうと、グッと来る。そういう意味では海童道祖や阿部薫なんかとも全然違う。なにより、彼はかわいい。
今日は会う友達みんながみんな風邪をひいている気がするので、みなさんも気をつけてください。
帰ってきて、午前中のセッションの編集と、天井の作業。天井は夜中までつづきましたとさ。(もっとやらなあかんことがあるような気もするが。 )音楽作業をすることは睡眠に近い。そういう催眠的なを作ってるのが原因かもしれないが。大谷さん、素材3、素材10、素材11、俺は天才、俺はきめ細やか、ファイアー点火、noguso no uta(when i'm thinking nogusoのほう)を仕上げる。
2011年11月23日水曜日
11/23
今とても眠いような気がするので、比較的はやく起きたのだろう。
思い出した。灰野敬二と話し込み、サングラスとったら案外やさしい顔してて、嬉しくなって電話番号の交換していたら、やかんの水をかぶって目が覚めたんだった。これがほんとの寝耳に水である。おねしょではない。
今日こそ深沢七郎研究に手を付けよう、と思っていたが、大里俊晴boxが届いてしまったことで今日一日が大里さんに捧げられてしまうことになるのでした。アーメン。
大里boxは本当にすばらしい。本当にゴミだけど、素晴らしい。 みんな、こういうのにお金をかけないといかんぞ。通勤通学暇つぶしを酔わしてくれる、感覚的な音楽の「消費」もいいけれど、ふと立ち止まってしまうようなものを受け止める「浪費」として音楽を捉えると、世の中がどんどん広がっていくぞ!
ところで、音楽の姿勢を評して「プライドがない」とか言う人がいるみたいだけれど、まぁそういう人間は、なめられるような音楽をしてるもんだから、そう思われても仕方ないけれど、消費の音楽に接近してる人間はプライドを捨てよう捨てようとして音楽をつくってたりするんじゃないのか。別にプライドなんかどうでもいいけれど、そこで「プライドがない」と言うのもなぁ。そういう人は田中小実昌とか読めない。
大里boxはそういうことを考えさせられるくだらなさが満載で、僕は大好きだなぁ〜。6500円もしたけど、それも含めて(?)、嬉しくなる。
大里boxを聞いていると、大里の追悼文集が、今までまあいいかと思っていたけれど、大里box聞いていると、欲しくなってきたので、ガケ書房に買いにいきます。ついでに図書館で古井由吉の新刊「蜩の声」を借ります。(読む時間なさそう)
帰りがけ、京大で学祭がやっていた。うーん良い季節だ!好き屋でおろしぽんず牛丼を喰って帰る。今日もありがとうございました。
大里のboxをひたすら聞いていると、クーラーが壊れたことも相まって、プチ模様替えをするために、コタツを出した。 コタツはいつも立てて、洋風テーブルとして使っていたのだが、コタツにしようと、思い立ったのだ。
コタツは本当にまったりする。下がフローリンだから固いけれど、やっぱりいいものだ。座っていると、なんか腰がいたくなるけれど、まったりするなぁ。なんか書こうとしたけれど忘れたなぁ。コタツだなぁ。
工藤冬里のピアノソロでも聞いて一日をさよならしましょう。
さよなら、さよなら、さよなら…。(淀長)
今とても眠いような気がするので、比較的はやく起きたのだろう。
思い出した。灰野敬二と話し込み、サングラスとったら案外やさしい顔してて、嬉しくなって電話番号の交換していたら、やかんの水をかぶって目が覚めたんだった。これがほんとの寝耳に水である。おねしょではない。
今日こそ深沢七郎研究に手を付けよう、と思っていたが、大里俊晴boxが届いてしまったことで今日一日が大里さんに捧げられてしまうことになるのでした。アーメン。
大里boxは本当にすばらしい。本当にゴミだけど、素晴らしい。 みんな、こういうのにお金をかけないといかんぞ。通勤通学暇つぶしを酔わしてくれる、感覚的な音楽の「消費」もいいけれど、ふと立ち止まってしまうようなものを受け止める「浪費」として音楽を捉えると、世の中がどんどん広がっていくぞ!
ところで、音楽の姿勢を評して「プライドがない」とか言う人がいるみたいだけれど、まぁそういう人間は、なめられるような音楽をしてるもんだから、そう思われても仕方ないけれど、消費の音楽に接近してる人間はプライドを捨てよう捨てようとして音楽をつくってたりするんじゃないのか。別にプライドなんかどうでもいいけれど、そこで「プライドがない」と言うのもなぁ。そういう人は田中小実昌とか読めない。
大里boxはそういうことを考えさせられるくだらなさが満載で、僕は大好きだなぁ〜。6500円もしたけど、それも含めて(?)、嬉しくなる。
大里boxを聞いていると、大里の追悼文集が、今までまあいいかと思っていたけれど、大里box聞いていると、欲しくなってきたので、ガケ書房に買いにいきます。ついでに図書館で古井由吉の新刊「蜩の声」を借ります。(読む時間なさそう)
帰りがけ、京大で学祭がやっていた。うーん良い季節だ!好き屋でおろしぽんず牛丼を喰って帰る。今日もありがとうございました。
大里のboxをひたすら聞いていると、クーラーが壊れたことも相まって、プチ模様替えをするために、コタツを出した。 コタツはいつも立てて、洋風テーブルとして使っていたのだが、コタツにしようと、思い立ったのだ。
コタツは本当にまったりする。下がフローリンだから固いけれど、やっぱりいいものだ。座っていると、なんか腰がいたくなるけれど、まったりするなぁ。なんか書こうとしたけれど忘れたなぁ。コタツだなぁ。
工藤冬里のピアノソロでも聞いて一日をさよならしましょう。
さよなら、さよなら、さよなら…。(淀長)
11/22
朝ご飯は昨日の残りの鯖寿司を。うまいうまいといいながら食べました。若狭の漁師のみなさん、お母さん、神、谷内くん、他、これから登場してきそうな人間さん、ありがとうございます。
月火、とすることはたくさんある、ような気がする。でも、できない。周りの生徒さんや先生を見てつくづく思う。僕は本当にふざけたやつだ。でも、僕の友達はおふざけの極北にいってしまっている。そこにくると、僕は常識人だ。そもそも僕は一番常識人だと思って生きているんだけれど、どうも、このままでは生きていけなさそうなので、常識人でもないのかもしれない。伊賀は霧の多いところだ(隠喩)。
ワーグナーの歌劇で、ジークフリードが伝説の剣を抜き、妹とまぐわるところを見た。ワーグナーを見ると気がわぐな〜(by中原昌也)
今日は久しぶりに会う人によくあった。あって話をした。みんなと呑みに行きたいなぁ。最近会っていないけれど、のっぷんさん元気かなぁ。
マンツーマンで、柳田国男を読んだ。これがとてもおもしろい。カチカチ山は複合された話であり、さまざまな物語がそこに保存されてくっついていたり、あるいは変化したりして出来上がったものだ、ではそれを具体的に見ていこう、という風な論で、ここには文学の発生、生成の仕組みがそのまま現れていて驚いた。こういうさまは青木淳吾と意外に近いんじゃないか。 大塚英志が孫弟子らしいよ、と聞いて、腑に落ちた。なるほど!大塚さんはビックリマンシールの研究だからだいぶ感覚ちがうけれど。
その間に、僕がディスクユニオンで頼んだものが今日届く筈だったらしいのだが、不在で、ポストにご不在連絡票が入っていたことを、私はまだ知らない。誕生日にディスクユニオンで頼んだものが来たら、激アツだったろうなぁ〜と今、思わなくもない。
朝ご飯は昨日の残りの鯖寿司を。うまいうまいといいながら食べました。若狭の漁師のみなさん、お母さん、神、谷内くん、他、これから登場してきそうな人間さん、ありがとうございます。
月火、とすることはたくさんある、ような気がする。でも、できない。周りの生徒さんや先生を見てつくづく思う。僕は本当にふざけたやつだ。でも、僕の友達はおふざけの極北にいってしまっている。そこにくると、僕は常識人だ。そもそも僕は一番常識人だと思って生きているんだけれど、どうも、このままでは生きていけなさそうなので、常識人でもないのかもしれない。伊賀は霧の多いところだ(隠喩)。
ワーグナーの歌劇で、ジークフリードが伝説の剣を抜き、妹とまぐわるところを見た。ワーグナーを見ると気がわぐな〜(by中原昌也)
今日は久しぶりに会う人によくあった。あって話をした。みんなと呑みに行きたいなぁ。最近会っていないけれど、のっぷんさん元気かなぁ。
マンツーマンで、柳田国男を読んだ。これがとてもおもしろい。カチカチ山は複合された話であり、さまざまな物語がそこに保存されてくっついていたり、あるいは変化したりして出来上がったものだ、ではそれを具体的に見ていこう、という風な論で、ここには文学の発生、生成の仕組みがそのまま現れていて驚いた。こういうさまは青木淳吾と意外に近いんじゃないか。 大塚英志が孫弟子らしいよ、と聞いて、腑に落ちた。なるほど!大塚さんはビックリマンシールの研究だからだいぶ感覚ちがうけれど。
その間に、僕がディスクユニオンで頼んだものが今日届く筈だったらしいのだが、不在で、ポストにご不在連絡票が入っていたことを、私はまだ知らない。誕生日にディスクユニオンで頼んだものが来たら、激アツだったろうなぁ〜と今、思わなくもない。
2011年11月22日火曜日
ルーティ
11/21
月曜日は、諸事情(仕事的なもの)があるわけで、憂鬱なのであるが、実際、疲れた。緊張した雰囲気というのは、いつまでも僕はなれなくて、僕は何を学んできんだろう、と、ふと高校のころを思い出して、今、何年ぶりかに、こんな渦中で、途方に暮れてる、という経験をしていることに気づいた。人は、どうしても、自分の住む世界の中にいる。世界の中にいなければそれは嘘だ。だから、そこで一生懸命になって、周りのもの何も見えず、失敗して、何も見えず、とりかえしがつかなくても、それは仕方ない、と野田口は高校生に声をかける。
小説家の保坂和志さんが、「今月号の群像の自分の連載は読め!」と嬉しそうに話してくださったので、群像の12月号を読む。文章が喜んでいる!いいタイミングでサッと布袋さん(神のほう)の説明が入った具合は、図書館であるのに笑ってしまった。
スーパーで、サバ寿司が半額になっていたので、でも半額でも600円するから、どうしようか迷ったが、まぁ、誕生日だし、と思い、思いきって購入。脂がのってとてもおいしかったです。ありがとうございました。
『暇と退屈の倫理学』を読み終える。この本にはとても勇気をもらった。
今日は疲れたので、久しぶりに銭湯に行く。番頭のおばちゃんとはもう顔見知りである。いつもありがとうございます。鍋の話をする。
銭湯で誕生日を迎える。(11/22)何があるわけでもありませんが、こうして誕生日を迎えることが出来ました。ほんとうにありがとうございます。
今日は、友達が日記を付け出していることにも励まされ、友達がツイッターを再開したことにも笑いました(世界平和)。反復を恐れなくなると、何か書けます。日記は食べ物の羅列だけでも、なんか感動します。黒歴史は、とてもおもしろいことです(暗黒微笑)。文章は、残しておくのが気持ちいいゾ。
月曜日は、諸事情(仕事的なもの)があるわけで、憂鬱なのであるが、実際、疲れた。緊張した雰囲気というのは、いつまでも僕はなれなくて、僕は何を学んできんだろう、と、ふと高校のころを思い出して、今、何年ぶりかに、こんな渦中で、途方に暮れてる、という経験をしていることに気づいた。人は、どうしても、自分の住む世界の中にいる。世界の中にいなければそれは嘘だ。だから、そこで一生懸命になって、周りのもの何も見えず、失敗して、何も見えず、とりかえしがつかなくても、それは仕方ない、と野田口は高校生に声をかける。
小説家の保坂和志さんが、「今月号の群像の自分の連載は読め!」と嬉しそうに話してくださったので、群像の12月号を読む。文章が喜んでいる!いいタイミングでサッと布袋さん(神のほう)の説明が入った具合は、図書館であるのに笑ってしまった。
スーパーで、サバ寿司が半額になっていたので、でも半額でも600円するから、どうしようか迷ったが、まぁ、誕生日だし、と思い、思いきって購入。脂がのってとてもおいしかったです。ありがとうございました。
『暇と退屈の倫理学』を読み終える。この本にはとても勇気をもらった。
山本精一の音楽とかはこういう方向性はあるよなぁ、と思うと、本当におもしろい。これが発展して、くだらないけど愛さざるを得ない作品が出来てくると、いいなぁ。
充実した、充溢した意思を持って、懸命に導かれる方向を踏みしめることを決断することは、それが正しいとしても、その態度の中に損なうものがあるかもしれ ない。作品を生み出すということは必ずしも正しいことではなく、生み出したから偉いなんてことは実はない。ただ、私たちは、ふとした時に、思考モードに変 身することができる。自分や世界を受け入れ、感性を開く余地があると、変身は自然で、そういうのを養うのが暇で退屈だったりする。文化なんて特別なもの じゃないから、退屈とはうまくやっていけるはず。
今日は疲れたので、久しぶりに銭湯に行く。番頭のおばちゃんとはもう顔見知りである。いつもありがとうございます。鍋の話をする。
銭湯で誕生日を迎える。(11/22)何があるわけでもありませんが、こうして誕生日を迎えることが出来ました。ほんとうにありがとうございます。
今日は、友達が日記を付け出していることにも励まされ、友達がツイッターを再開したことにも笑いました(世界平和)。反復を恐れなくなると、何か書けます。日記は食べ物の羅列だけでも、なんか感動します。黒歴史は、とてもおもしろいことです(暗黒微笑)。文章は、残しておくのが気持ちいいゾ。
2011年11月21日月曜日
そうぐ
11/20
寝る前に何となくジムオルークの「ユリイカ」の和訳など。言い回しが映画っぽいらしく、よくわからない。
起きた後もボーっとして暮らす。友達と鍋パーティしよう、という話が合ったような気がするので、行こうとするけれど、スカイプかかってきたので、グダるといつの間にか寝ていた。
そいつはネットビジネスの動画をわんさか紹介してくれた。どういうつもりなんだろう。とにかくありがたい。
もうひとり、谷内くんだけれど、谷内くんは大里俊晴の三回忌イベントに行ったらしく、竹田賢一は神だ、と。youtubeで竹田賢一を見たけれど、これはなんだこれは。
またようわからん刺激を受けてはてしなく音楽漁りをする旅が始まる(至言)。
この一週間は密度の濃い時間を過ごしたのでなんだか夢みたいだ。ほとんど寝て生きてるみたいなもんだからなぁ、とも思うけれど、記憶なんてだいたい夢と同じで、過去に融けて夢と交わるものなのだから、そりゃすばらしいよね。
寝る前に何となくジムオルークの「ユリイカ」の和訳など。言い回しが映画っぽいらしく、よくわからない。
起きた後もボーっとして暮らす。友達と鍋パーティしよう、という話が合ったような気がするので、行こうとするけれど、スカイプかかってきたので、グダるといつの間にか寝ていた。
そいつはネットビジネスの動画をわんさか紹介してくれた。どういうつもりなんだろう。とにかくありがたい。
もうひとり、谷内くんだけれど、谷内くんは大里俊晴の三回忌イベントに行ったらしく、竹田賢一は神だ、と。youtubeで竹田賢一を見たけれど、これはなんだこれは。
またようわからん刺激を受けてはてしなく音楽漁りをする旅が始まる(至言)。
この一週間は密度の濃い時間を過ごしたのでなんだか夢みたいだ。ほとんど寝て生きてるみたいなもんだからなぁ、とも思うけれど、記憶なんてだいたい夢と同じで、過去に融けて夢と交わるものなのだから、そりゃすばらしいよね。
2011年11月20日日曜日
そうぐ(2)
11/19
カラオケが終わり、保坂さんをホテルまで送った後、古本屋さんであるジュウマントンに帰ってきた。そこで、みんなと文学の話をしたり、音楽の話をしたりして盛り上がる。みんな良い人の上に趣味が良い。ちゃんと考えてくれてはる。僕はとても嬉しくなって、しゃべくり倒す。
そうやってしゃべっていると、いつの間にか朝の十時になってしまっていた。保坂さんがいらっしゃって、お風呂に行きたい、とおっしゃる。ジュウマントンの店主みたいなことをしているカジさんのお友達の町家にお風呂に入らしてもらうのに同行する。なんかこのあたりから、なんだか現実感がない。普通に保坂さんが目の前にいるというのはなんだかすごいことをしてしまったなぁという気持ちもあるが、なんだかありがたい。その店に来ていたアイリッシュの音楽をする女の子を交えてボツボツお話をする。
あまりに面白くて、本当にありがたいと思う。ちょうど街は雨が降り、霧が出ていたのもあるのかもしれないけれど、また、それは寝ていないだけかもしれないけれど、なんだか夢かとも思う。そう思っていると自転車は車にぶつかってしまった。車は時速1キロとかだったので助かった。
少し寝た後、ライブハウスであるネガポジで、ファテリアバンドのライブを見に行こうとするが、起きると体が震え、胃がびっくりするほどもたれるので、アル中かと思う。ああ、実はこんなに呑んでしまったのか、と今思う。あのときは全く平気だったのだが。マクラを頭に押し付けると、頭が回るので、おもしろくはなくなないが、そういうことをすると酔う。
無事ネガポジでライブを見る。改めて、Eさんはすごい人だ、と思う。こういうのがオリジネイターというやつだ。何もかもどん欲に取り入れて、それがバリにキマっているのがマジですごい。
二日酔いということであるが、お酒を呑ませていただく。いつも江添さんは僕によくしてくれて本当にありがたい。ビール瓶2本もいただかしてもらって本当にありがとうございます。二日酔いで比較的すぐに寝てしまって申し訳ない。
ネガポジから王将に行く。声はガラガラであるが、とても気分がいいので、しゅーさんとジムオルークの「ユリイカ」を
と歌いながらネガポジから王将に行く。
"Hello, Hello, can you hear me?
Are your skies clear and sunny down there?
Even in this rain the breath of the breeze is reaching me here"
Here on this phone
A quarter a day room for me
And as things stay the same
I'm quickly running out of change
You're thinking on your feet
While you're sitting there on your ass
Fresh crease in your shirts
No stain of sweat on your back
There's no need
There's an employee
To make up for all of your slack
A seed don't make a tree
Without a servant who waters the grass
もしもし、もしもし、聞こえますか?
そっちの国はいい天気?
もし雨の中であるのだとしても、凍えた息はここまで届いているよ。
この電話で
これで僕のために一日の四分の一だけも
同じようなことを同じだけして暮らすことになるなぁ
変わったことがあると思っても別にそんなことなかったわ
あなたはうんこが出てもおかしくないような不思議な座り方で
生意気に僕のことを考えてる
あなたのシャツには新しいしわを見つけたけど
背中には汗のあとがないなぁ
正直なところ、なにも必要ない
雇用者みたいなことにはなってる
寝るのはとても楽しいでしょうが
種をまいたとしても
コップ何杯もの水持ってくる人がいないと
木にはならないですよ
カラオケが終わり、保坂さんをホテルまで送った後、古本屋さんであるジュウマントンに帰ってきた。そこで、みんなと文学の話をしたり、音楽の話をしたりして盛り上がる。みんな良い人の上に趣味が良い。ちゃんと考えてくれてはる。僕はとても嬉しくなって、しゃべくり倒す。
そうやってしゃべっていると、いつの間にか朝の十時になってしまっていた。保坂さんがいらっしゃって、お風呂に行きたい、とおっしゃる。ジュウマントンの店主みたいなことをしているカジさんのお友達の町家にお風呂に入らしてもらうのに同行する。なんかこのあたりから、なんだか現実感がない。普通に保坂さんが目の前にいるというのはなんだかすごいことをしてしまったなぁという気持ちもあるが、なんだかありがたい。その店に来ていたアイリッシュの音楽をする女の子を交えてボツボツお話をする。
あまりに面白くて、本当にありがたいと思う。ちょうど街は雨が降り、霧が出ていたのもあるのかもしれないけれど、また、それは寝ていないだけかもしれないけれど、なんだか夢かとも思う。そう思っていると自転車は車にぶつかってしまった。車は時速1キロとかだったので助かった。
少し寝た後、ライブハウスであるネガポジで、ファテリアバンドのライブを見に行こうとするが、起きると体が震え、胃がびっくりするほどもたれるので、アル中かと思う。ああ、実はこんなに呑んでしまったのか、と今思う。あのときは全く平気だったのだが。マクラを頭に押し付けると、頭が回るので、おもしろくはなくなないが、そういうことをすると酔う。
無事ネガポジでライブを見る。改めて、Eさんはすごい人だ、と思う。こういうのがオリジネイターというやつだ。何もかもどん欲に取り入れて、それがバリにキマっているのがマジですごい。
二日酔いということであるが、お酒を呑ませていただく。いつも江添さんは僕によくしてくれて本当にありがたい。ビール瓶2本もいただかしてもらって本当にありがとうございます。二日酔いで比較的すぐに寝てしまって申し訳ない。
ネガポジから王将に行く。声はガラガラであるが、とても気分がいいので、しゅーさんとジムオルークの「ユリイカ」を
ふぁ〜ふぁ〜ぁぁぁ(トランペットの形態模写)
と歌いながらネガポジから王将に行く。
"Hello, Hello, can you hear me?
Are your skies clear and sunny down there?
Even in this rain the breath of the breeze is reaching me here"
Here on this phone
A quarter a day room for me
And as things stay the same
I'm quickly running out of change
You're thinking on your feet
While you're sitting there on your ass
Fresh crease in your shirts
No stain of sweat on your back
There's no need
There's an employee
To make up for all of your slack
A seed don't make a tree
Without a servant who waters the grass
もしもし、もしもし、聞こえますか?
そっちの国はいい天気?
もし雨の中であるのだとしても、凍えた息はここまで届いているよ。
この電話で
これで僕のために一日の四分の一だけも
同じようなことを同じだけして暮らすことになるなぁ
変わったことがあると思っても別にそんなことなかったわ
あなたはうんこが出てもおかしくないような不思議な座り方で
生意気に僕のことを考えてる
あなたのシャツには新しいしわを見つけたけど
背中には汗のあとがないなぁ
正直なところ、なにも必要ない
雇用者みたいなことにはなってる
寝るのはとても楽しいでしょうが
種をまいたとしても
コップ何杯もの水持ってくる人がいないと
木にはならないですよ
そうぐ
11/19
10時ごろに起きる。10時ぐらいなので、ブランチということでしゃれこもうと思い、丸二定食へフライ盛りを頼みに行く。丸二にはひさかたぶりの人間もいて、話し込む。
隣のグループの会話がゲスかった。東京にいる19歳と付き合っているらしく、膣内射精したら妊娠してしまった。ゴムなし挿入のリスクが7%だとると、なかだしは17%で、ゴムだと5%(!?)になるらしい。しょうがないなぁ、と思いながらフライを食べる。
美術館で、印象派・ポスト印象派展があったので見に行く。この企画は、神企画だった。こんなにスゴい絵ばかり並んだ展覧会を見たことがないような気がする。クールベ、マネ、ドガ、モネ、ルノアール、ロートレック、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホなど、スゴすぎてシャレにならない面子であり、興奮した。
「日傘の女性、モネ夫人と息子」という絵は、本当に風をつくってしまっていた。モネの「太鼓橋」もすごくよかった。「太鼓橋」に描かれているのは、もはや、どこでもない。睡蓮はどこへも浮かんでしまっている。情報として絵で見ると、その絵のコンセプトや構造が分かり、これこれはこういうことだよね、と語ることができる。「日傘〜」の絵は前々から知っていたが、さわやかだなぁ、と思った。実物を見ると、空調が変わっていた。これがベンヤミンが言う、アウラ(オーラ)というやつだろうか。空気が、具体的に変わっていた。
私がびっくりしたのが、カサットで、私ははじめて知ったが、この人の絵は、なんともおかしな気持ちになり、びっくりした。基本的に絵画の特性は、ルビーやダイアモンドと同じように、宝物性みたいなのがあって、アリババのような人に持ち去られてしまうものだとすると、カサットの「青いひじ掛け椅子の少女」を例えば家に飾る、という人はどういう人なのだろう、という感があったが、今調べてみると、カサットは女性である。
美術館をこんなに堪能したのは久しぶりである。その後、図書館で大橋裸木の第二句集『生活を彩る』を読む。書庫から出してもらったその本は、とてもボロくて、まさに生活感が出ているとても良い本だった。大橋裸木はいい。一般的(?)な日常生活の場に留まりながら、自由律に詠む句の存在は、どこかおかしく、オーパーツであり、こういうものは生活への問い直しもしてしまう。そういう表現は根っこな気がする。
ジュウマントンという古本屋さんで、保坂和志さんが来るというので、向かった。そこに普通に保坂さん がいたので、いろいろ止まるかと思った。保坂さんはまず比較的講演っぽいことをしゃべった。(第一部)出来上がっている小説は、その小説を作るために、何通りもの小説の原稿用紙を丸めてそこらへんに捨てている。それは、出来上がっている小説は、その出来上がっている小説だけで出来上がっているわけではない。それはつまり、小説は、私たちは一部を読む。その小説の背後には何通りものプロセスがあり、物語のヴァリエーションがひしめいている。小説というのはそういうものであり、そのような背後こそがおもしろいのだ、と言っていた。まるで山本精一やジムオルークだとか、ジャズとかブルースみたいだ。
第二部はお酒を飲みながら始まった。保坂さんは本当に気さくでいい人で、どんどん話す。下世話な話やダジャレみたいなことも話す。 周りの人も個性的で、袈裟を着て、丸坊主で、毎週教会に通っている、PL学園卒の人は、本2pを30秒で読む。保坂さんのサラリーマン時代の同輩は、季節の記憶の本当にいい飲みだった。本当に楽しい。本当に楽しいから、やっぱりお酒を呑んでしまう。「白鶴まるはパック酒の中で本当に上手いよな!」と保坂さんがおっしゃったので、「いや、マジでうまいですよ〜。パック酒は僕はうまくないものだとてっきり思っていましたけれど、実はフルーティーで、白鶴まるはいけますよ!これぇ、すごい!」と申し上げると、「当たり前だろぅ〜。何年行きてるんだよ!」とおっしゃられた。時々サザンやブルーハーツなどを口ずさみ、「ブルーハーツは古典だよぉ!」と言ったり、桑田は歌が下手になったがそれは練習をしなくなったからだ。変わらない人間がいる、それは山下達郎だ!なんとか、いろいろ思い出して胸が詰まる。
その後、保坂さんたちとカラオケに行った。僕はテレサテンの「つぐない」を延々と歌わしてもらった。
10時ごろに起きる。10時ぐらいなので、ブランチということでしゃれこもうと思い、丸二定食へフライ盛りを頼みに行く。丸二にはひさかたぶりの人間もいて、話し込む。
隣のグループの会話がゲスかった。東京にいる19歳と付き合っているらしく、膣内射精したら妊娠してしまった。ゴムなし挿入のリスクが7%だとると、なかだしは17%で、ゴムだと5%(!?)になるらしい。しょうがないなぁ、と思いながらフライを食べる。
美術館で、印象派・ポスト印象派展があったので見に行く。この企画は、神企画だった。こんなにスゴい絵ばかり並んだ展覧会を見たことがないような気がする。クールベ、マネ、ドガ、モネ、ルノアール、ロートレック、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホなど、スゴすぎてシャレにならない面子であり、興奮した。
「日傘の女性、モネ夫人と息子」という絵は、本当に風をつくってしまっていた。モネの「太鼓橋」もすごくよかった。「太鼓橋」に描かれているのは、もはや、どこでもない。睡蓮はどこへも浮かんでしまっている。情報として絵で見ると、その絵のコンセプトや構造が分かり、これこれはこういうことだよね、と語ることができる。「日傘〜」の絵は前々から知っていたが、さわやかだなぁ、と思った。実物を見ると、空調が変わっていた。これがベンヤミンが言う、アウラ(オーラ)というやつだろうか。空気が、具体的に変わっていた。
私がびっくりしたのが、カサットで、私ははじめて知ったが、この人の絵は、なんともおかしな気持ちになり、びっくりした。基本的に絵画の特性は、ルビーやダイアモンドと同じように、宝物性みたいなのがあって、アリババのような人に持ち去られてしまうものだとすると、カサットの「青いひじ掛け椅子の少女」を例えば家に飾る、という人はどういう人なのだろう、という感があったが、今調べてみると、カサットは女性である。
美術館をこんなに堪能したのは久しぶりである。その後、図書館で大橋裸木の第二句集『生活を彩る』を読む。書庫から出してもらったその本は、とてもボロくて、まさに生活感が出ているとても良い本だった。大橋裸木はいい。一般的(?)な日常生活の場に留まりながら、自由律に詠む句の存在は、どこかおかしく、オーパーツであり、こういうものは生活への問い直しもしてしまう。そういう表現は根っこな気がする。
ジュウマントンという古本屋さんで、保坂和志さんが来るというので、向かった。そこに普通に保坂さん がいたので、いろいろ止まるかと思った。保坂さんはまず比較的講演っぽいことをしゃべった。(第一部)出来上がっている小説は、その小説を作るために、何通りもの小説の原稿用紙を丸めてそこらへんに捨てている。それは、出来上がっている小説は、その出来上がっている小説だけで出来上がっているわけではない。それはつまり、小説は、私たちは一部を読む。その小説の背後には何通りものプロセスがあり、物語のヴァリエーションがひしめいている。小説というのはそういうものであり、そのような背後こそがおもしろいのだ、と言っていた。まるで山本精一やジムオルークだとか、ジャズとかブルースみたいだ。
第二部はお酒を飲みながら始まった。保坂さんは本当に気さくでいい人で、どんどん話す。下世話な話やダジャレみたいなことも話す。 周りの人も個性的で、袈裟を着て、丸坊主で、毎週教会に通っている、PL学園卒の人は、本2pを30秒で読む。保坂さんのサラリーマン時代の同輩は、季節の記憶の本当にいい飲みだった。本当に楽しい。本当に楽しいから、やっぱりお酒を呑んでしまう。「白鶴まるはパック酒の中で本当に上手いよな!」と保坂さんがおっしゃったので、「いや、マジでうまいですよ〜。パック酒は僕はうまくないものだとてっきり思っていましたけれど、実はフルーティーで、白鶴まるはいけますよ!これぇ、すごい!」と申し上げると、「当たり前だろぅ〜。何年行きてるんだよ!」とおっしゃられた。時々サザンやブルーハーツなどを口ずさみ、「ブルーハーツは古典だよぉ!」と言ったり、桑田は歌が下手になったがそれは練習をしなくなったからだ。変わらない人間がいる、それは山下達郎だ!なんとか、いろいろ思い出して胸が詰まる。
その後、保坂さんたちとカラオケに行った。僕はテレサテンの「つぐない」を延々と歌わしてもらった。
2011年11月18日金曜日
ルーティ
11/17
久しぶりに出来た口内炎がひどいことになっている。マクドナルドのポテトを食べ過ぎたせいなのか。ピーマンを大量に食わなければ。
古本市でマンスフィールドの短編集などを購入。100円均一の古本市だからといって侮れない。
友達の会話で何回も出てきた、国分功一郎『暇と退屈の倫理学』を生協で買う。なんか二冊分のスペースを山積みにしている、いかにも話題の書という感じ。
大阪に向かう間、ヘアスタイリスティックスを聴きながら『暇と退屈の倫理学』を読む。聴きながら気づいたけれど、ヘアスタイリスティックスは移動の時に聴くような音楽ではない。
大阪駅の変貌に驚く。これはもはや山だ。地形が変わっている。これは風水師が困る。京都がのんびりしているわけだ。
福島あたりで鶏ガラのラーメンを食わせていただく。とてもおいしくいただきました。ありがとうございます。ビールもおいしかったです。
七時になったので、ライブハウス「シャングリラ」へ。今日は山本精一&THE PLAYGLAUNDのライブがある。山本精一は先日『ラプソディア』というアルバムをだしていただきました。どうもありがとうございます。それのレコ発のイベントという触れ込みだそうだ。椅子が並んでいたので、椅子に座って待っていると、カーテンが開いて、精一さんと千住さんと須原さんがいた。じゃあ一曲目といって「days」という曲をやった。
音があまりにも心地よくて、なんだか寝てしまいそうだった。これはラーメン食べながら聴けない。どちらかというと茫然という感じか。千住さんのドラムがとてもきまっていた。
『ラプソディア』は正直すごいアルバムで、山本精一の代表作みたいな扱いになるんじゃないか、と思っているのだが、『ラプソディア』の曲をライブですると、いやに包み込まれる、というか、抽象的な体験をする、というか、ある種の暴力的(?)体験をするように思う。「mothlight」「ラプソディア」「BE」の畳み掛けが本当に素晴らしかった。こういうのはライブの醍醐味であるなぁ。
久しぶりに出来た口内炎がひどいことになっている。マクドナルドのポテトを食べ過ぎたせいなのか。ピーマンを大量に食わなければ。
古本市でマンスフィールドの短編集などを購入。100円均一の古本市だからといって侮れない。
友達の会話で何回も出てきた、国分功一郎『暇と退屈の倫理学』を生協で買う。なんか二冊分のスペースを山積みにしている、いかにも話題の書という感じ。
大阪に向かう間、ヘアスタイリスティックスを聴きながら『暇と退屈の倫理学』を読む。聴きながら気づいたけれど、ヘアスタイリスティックスは移動の時に聴くような音楽ではない。
大阪駅の変貌に驚く。これはもはや山だ。地形が変わっている。これは風水師が困る。京都がのんびりしているわけだ。
福島あたりで鶏ガラのラーメンを食わせていただく。とてもおいしくいただきました。ありがとうございます。ビールもおいしかったです。
七時になったので、ライブハウス「シャングリラ」へ。今日は山本精一&THE PLAYGLAUNDのライブがある。山本精一は先日『ラプソディア』というアルバムをだしていただきました。どうもありがとうございます。それのレコ発のイベントという触れ込みだそうだ。椅子が並んでいたので、椅子に座って待っていると、カーテンが開いて、精一さんと千住さんと須原さんがいた。じゃあ一曲目といって「days」という曲をやった。
音があまりにも心地よくて、なんだか寝てしまいそうだった。これはラーメン食べながら聴けない。どちらかというと茫然という感じか。千住さんのドラムがとてもきまっていた。
『ラプソディア』は正直すごいアルバムで、山本精一の代表作みたいな扱いになるんじゃないか、と思っているのだが、『ラプソディア』の曲をライブですると、いやに包み込まれる、というか、抽象的な体験をする、というか、ある種の暴力的(?)体験をするように思う。「mothlight」「ラプソディア」「BE」の畳み掛けが本当に素晴らしかった。こういうのはライブの醍醐味であるなぁ。
2011年11月17日木曜日
ルーティ
11/16
かなり寝坊してしまった。
昼から天井という、音楽ユニットの曲づくりをしていた。適当に作ってる筈なんだけど、こういうのは結構時間食ってしまう。
自由律の俳句について議論する場があった。私はわりと俳句好きの友達に囲まれているせいもあって、例えば放哉の句には親しみがある。しかし、大橋裸木の句には僕は本当に衝撃を受けてしまった。俳句の場合、この句の何がいいか、というのは説明しづらい。谷内くんは、俳句は睡眠に似ている、とか、俳句はゴミ、と言っているが、なるほど、本当にそうだな、と思う。俳句というのは、言葉の支配を越える瞬間を捉える言葉の表現に結果的になって、それがどうして起こるのか、というのは、何気なさ、例えば他の、いわゆる詩のように言葉の革命、言葉との闘い、みたいになりがちな表現とは違って、自動人形、俳句マシーン、俳句システムに自分がなるようなところがあったり、自動書記に近い。かといってシュールレアリズムなんかでは決してない。本当になにもならない。本当にしょうもない。こんな句つくりやがってぇ、と嬉しくなる。もうそこで毒が回っている。もうその句は頭から離れない。
かなり寝坊してしまった。
昼から天井という、音楽ユニットの曲づくりをしていた。適当に作ってる筈なんだけど、こういうのは結構時間食ってしまう。
自由律の俳句について議論する場があった。私はわりと俳句好きの友達に囲まれているせいもあって、例えば放哉の句には親しみがある。しかし、大橋裸木の句には僕は本当に衝撃を受けてしまった。俳句の場合、この句の何がいいか、というのは説明しづらい。谷内くんは、俳句は睡眠に似ている、とか、俳句はゴミ、と言っているが、なるほど、本当にそうだな、と思う。俳句というのは、言葉の支配を越える瞬間を捉える言葉の表現に結果的になって、それがどうして起こるのか、というのは、何気なさ、例えば他の、いわゆる詩のように言葉の革命、言葉との闘い、みたいになりがちな表現とは違って、自動人形、俳句マシーン、俳句システムに自分がなるようなところがあったり、自動書記に近い。かといってシュールレアリズムなんかでは決してない。本当になにもならない。本当にしょうもない。こんな句つくりやがってぇ、と嬉しくなる。もうそこで毒が回っている。もうその句は頭から離れない。
墓のうらにまはる(放哉)ぼーっと歩いてたら、これは墓の裏にまわるということをしてることに気づいて、あ、俺は墓の裏にまわってるわ、へぇそんなこともあるんだな、という感じだろうか。この時、俳句は確かに催眠に近い!こういうのを作品として詠んでしまうのがさらにおかしい。また、こういうのが存在して残ってしまうことがさらにおかしい。この存在が僕のところまで届いてしまうところがさらにおかしい。喜びの瞬間である!
陽へ病む(裸木)今回は、本当に衝撃を受けた。この句は、全く見通せない!いったい、この句を詠んでしまった人は、どうしてしまったのだ。 なぜ、こんな句を詠まなければならなかったのか。なぜ陽「へ」なのか!累々の俳句がズラーと並べられている中で、この俳句あると、明らかに異様だ。それで詠ませるのも異様だ!俳句は座の文学の延長線上にある。座というのはコミュニティー的なものだが、同傾向の人々が集まって、句会に出、句集を編む。裸木が句会に出て、この句を詠むとどうなる。そんなことが許されていいのか。この句が成立することで、俳句、いや言葉は崩壊してしまう。それで詠ませるのが危険だ!どうして俳句はこんなことになってしまったのか。わからない!ただ、この句にいまにも決壊せんとする物語が溢れている。だが、全く見通せない!
2011年11月16日水曜日
11/15
図書館に本を返す日だった…。忘れていた。
起き抜けに王将で焼きそばを食べる。 今日もありがとうございます。
朝から貧血気味。図書館へ、群像12月号を読みに行く。今月号は藤枝静男が特集されている。堀江敏幸・奥泉光・桜庭一樹が鼎談していたのを読む。桜庭さんってあの『ゴシック』の人ですよね。あんなにかわいい作品を作ってくれる人が藤枝静男の合評に出るというは、藤枝静男受容の新しい波を感じる。鼎談を読んでいると、なんだか僕が読んでいた藤枝静男と違っていて、奥泉さんがまとめたあらすじを読んでいても、なんだか別の作品みたいで、不安になる。僕は藤枝静男を読めているのか!?すばらしい鼎談で、最後の方は、涙が出てきた。次のページでまた佐藤友哉が調子乗ってるようなので、また後で読もう。今月は文芸誌に素晴らしい対談が多い。資料を集めに図書館内をうろうろしていると、クラクラした。
こんな調子ではまずいと思ったので、丸二定食でフライ盛りを頼む。唐揚げ、なすのフライ、コロッケ、ぎょうざ、白身魚のフライがたくさん出てきた。久しぶりに満腹を味わった。おいしくいただきました。ありがとうございます。
武者小路実篤が作ったカチカチ山の劇を朗読し合う。 それが面白かった。婆を騙すということは痛快だった。自分が小津の映画に出てくる笠智衆になったつもりで楽しかった。
今日はとても疲れたので帰ってきたなりすぐ寝たが、どうやらネガポジでキャプテンパニックと不審船のギグがあったらしい。せめて呑みぐらい行ければ、と思ったが、今日の早朝に気づいた。すいません、また呑みなおしましょう!
図書館に本を返す日だった…。忘れていた。
起き抜けに王将で焼きそばを食べる。 今日もありがとうございます。
朝から貧血気味。図書館へ、群像12月号を読みに行く。今月号は藤枝静男が特集されている。堀江敏幸・奥泉光・桜庭一樹が鼎談していたのを読む。桜庭さんってあの『ゴシック』の人ですよね。あんなにかわいい作品を作ってくれる人が藤枝静男の合評に出るというは、藤枝静男受容の新しい波を感じる。鼎談を読んでいると、なんだか僕が読んでいた藤枝静男と違っていて、奥泉さんがまとめたあらすじを読んでいても、なんだか別の作品みたいで、不安になる。僕は藤枝静男を読めているのか!?すばらしい鼎談で、最後の方は、涙が出てきた。次のページでまた佐藤友哉が調子乗ってるようなので、また後で読もう。今月は文芸誌に素晴らしい対談が多い。資料を集めに図書館内をうろうろしていると、クラクラした。
こんな調子ではまずいと思ったので、丸二定食でフライ盛りを頼む。唐揚げ、なすのフライ、コロッケ、ぎょうざ、白身魚のフライがたくさん出てきた。久しぶりに満腹を味わった。おいしくいただきました。ありがとうございます。
武者小路実篤が作ったカチカチ山の劇を朗読し合う。 それが面白かった。婆を騙すということは痛快だった。自分が小津の映画に出てくる笠智衆になったつもりで楽しかった。
今日はとても疲れたので帰ってきたなりすぐ寝たが、どうやらネガポジでキャプテンパニックと不審船のギグがあったらしい。せめて呑みぐらい行ければ、と思ったが、今日の早朝に気づいた。すいません、また呑みなおしましょう!
2011年11月15日火曜日
さっm
11/14
友達が、佐々木敦の『文学拡張マニュアル』は持っておいた方が良い、と教えてくれたので、早速図書館に行き、借りてくる。とりあえず保坂和志との対談の部分を読む。保坂和志が80過ぎたあたりの小島信夫はふぬけてて、枠しかない、とかドキリとするようなことをしゃべってる。バッサバッサ切っていくのだけれど、やっぱり面白い、有意義な対談だった。私が保坂さんに対して思う複雑さはここにあって、なんで彼はこんなに自信満々なのだろうと、羨ましく思う。全面的に小説を信頼している、と保坂さんは言ってる。小説の必然に従って小説を書かされにいっている、という姿勢は共感できるし、少なくとも自分が書いてるんだ!と思って書いている人よりはフェアだけれど、そういうのはあんまり押し出すものじゃないんじゃないの、とは思う。ハイデガーっぽいし。小説(の運命?)のことを考えると、社会に向けて発言していかなくてはいけないし、そこに小説の未来が託されている、ということの意味は分かる。
最近映画化するという、川端康成『眠れる美女』の話を聞く。川端が本当に変態で嬉しい。お人形さんみたいな女の子からこういう話を聞く経験というのは、人間としてまた一つ功徳をつんだような気がする。そういう状況でもなかったのだが。
言葉以前に人間は生活しているとすれば、言葉で何かを作る一方、どうしようもない、しょうもなくもある生活みたいなものを一つの批評的な地点として持つべきじゃないのか。言葉の世界と、そこからフッと離れたもう一つの世界を持ちたい。そこに驚きがあり、それは励ましでもある、というと保坂さんもそうだし、しばらく僕は保坂さんを離れられない。
友達が、佐々木敦の『文学拡張マニュアル』は持っておいた方が良い、と教えてくれたので、早速図書館に行き、借りてくる。とりあえず保坂和志との対談の部分を読む。保坂和志が80過ぎたあたりの小島信夫はふぬけてて、枠しかない、とかドキリとするようなことをしゃべってる。バッサバッサ切っていくのだけれど、やっぱり面白い、有意義な対談だった。私が保坂さんに対して思う複雑さはここにあって、なんで彼はこんなに自信満々なのだろうと、羨ましく思う。全面的に小説を信頼している、と保坂さんは言ってる。小説の必然に従って小説を書かされにいっている、という姿勢は共感できるし、少なくとも自分が書いてるんだ!と思って書いている人よりはフェアだけれど、そういうのはあんまり押し出すものじゃないんじゃないの、とは思う。ハイデガーっぽいし。小説(の運命?)のことを考えると、社会に向けて発言していかなくてはいけないし、そこに小説の未来が託されている、ということの意味は分かる。
最近映画化するという、川端康成『眠れる美女』の話を聞く。川端が本当に変態で嬉しい。お人形さんみたいな女の子からこういう話を聞く経験というのは、人間としてまた一つ功徳をつんだような気がする。そういう状況でもなかったのだが。
言葉以前に人間は生活しているとすれば、言葉で何かを作る一方、どうしようもない、しょうもなくもある生活みたいなものを一つの批評的な地点として持つべきじゃないのか。言葉の世界と、そこからフッと離れたもう一つの世界を持ちたい。そこに驚きがあり、それは励ましでもある、というと保坂さんもそうだし、しばらく僕は保坂さんを離れられない。
2011年11月14日月曜日
の
11/13
ああ。13日だ。
今日は天井での活動だけに終始した感がある。
小島信夫の『書簡文学論』を読む。
最近夢をよく見るようになった。というか単にものすごく寝るようになっただけの話かもしれないけれど。夢だから変な夢を見るのは当たり前なんだけれど、僕の夢ななんとも微妙だと思う。ぶっ飛んでたり、ファンタジーだったり、殺したり殺されたりという夢は見ないけれど、なんだか本当に気持ち悪い夢を見る。それは別に悪夢という訳ではないのだけれど。端的に言って僕の夢はなんだかよく分からない。夢と言うものは概してそういうものなのだろうけれど。
今日は上司的存在の人とサウナっぽい、真っ暗な、いささか宗教的なオーラを感じさせるような、それでいて当然そこにあるというような(夢の中の意識は概してそういうものかもしれない)ところでお話をした。そんな風にしていたら妻をおまえたちに寝取られるのは時間の問題だ、みたいなことをその上司的存在は言ってた。
昨日は友達がインド人と遊ぼうとして、インド人の店めちゃくちゃにして、追いかけ回されたので、泣きながら「僕就職活動するわ」といって消えていった。その後僕は軽くなって飛んだ。
夢を語ると言うことは、言葉によって夢を表現している訳だから、言葉にした時点で夢は夢じゃない。夢は記号でも構造でもない。夢をそういうものにしてしまうと、どこかありきたりな部分が残る。それは、なにも表現していないことと一緒だろう。ただ、そういう夢みたいなことを、言葉にするという行為には何か欲望や何かがあるのだろうし、そこに例えば精神分析とやらが発生することは分かる。 夢を言葉にするものというのはどれくらいまで夢と関係があるのだろうか。夢ということにしておいて、何か語らざるを得ないようなことを語っているのだろうか。
ああ。13日だ。
今日は天井での活動だけに終始した感がある。
小島信夫の『書簡文学論』を読む。
最近夢をよく見るようになった。というか単にものすごく寝るようになっただけの話かもしれないけれど。夢だから変な夢を見るのは当たり前なんだけれど、僕の夢ななんとも微妙だと思う。ぶっ飛んでたり、ファンタジーだったり、殺したり殺されたりという夢は見ないけれど、なんだか本当に気持ち悪い夢を見る。それは別に悪夢という訳ではないのだけれど。端的に言って僕の夢はなんだかよく分からない。夢と言うものは概してそういうものなのだろうけれど。
今日は上司的存在の人とサウナっぽい、真っ暗な、いささか宗教的なオーラを感じさせるような、それでいて当然そこにあるというような(夢の中の意識は概してそういうものかもしれない)ところでお話をした。そんな風にしていたら妻をおまえたちに寝取られるのは時間の問題だ、みたいなことをその上司的存在は言ってた。
昨日は友達がインド人と遊ぼうとして、インド人の店めちゃくちゃにして、追いかけ回されたので、泣きながら「僕就職活動するわ」といって消えていった。その後僕は軽くなって飛んだ。
夢を語ると言うことは、言葉によって夢を表現している訳だから、言葉にした時点で夢は夢じゃない。夢は記号でも構造でもない。夢をそういうものにしてしまうと、どこかありきたりな部分が残る。それは、なにも表現していないことと一緒だろう。ただ、そういう夢みたいなことを、言葉にするという行為には何か欲望や何かがあるのだろうし、そこに例えば精神分析とやらが発生することは分かる。 夢を言葉にするものというのはどれくらいまで夢と関係があるのだろうか。夢ということにしておいて、何か語らざるを得ないようなことを語っているのだろうか。
2011年11月13日日曜日
野田
11/12
三浦清宏の『長男の出家』を読む。家族の諸相が上手く描けていた。磯崎憲一郎を私小説化すればこういう風になるのか、と思った。三浦清宏は小島信夫と半年同棲していたらしいし、そういう事もあると思う。
田中小実昌『ポロポロ』の残りを読む。さすが、本当に面白かった。最後の2編は物語を名指しして意識しながら戦争を描こうとしている。
深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』を拾い読みする。この人も本当に面白い。かわいい。周りの人物、石原慎太郎でも、かわいく見える。そういうのは実はかなり力のある文章というか、批評の核となる何かを持っていないと書けない文章だろうな。
森敦の『浄土』を読む。彼は本当に良い文章を書く。美しい文章を書く。僕は小説を読むのが苦手で、情景が上手く浮かぶことがないが、いつのまにか、彼のフィールドに入り込んでしまっているのでびっくりする。 非常に大変な人である。他に類がない。
ここまでが朝の8時で、その後、僕はものすごく寝てしまった。自分は友達と変な国に居り、セミナーを受け、恍惚としてる現地人にたかり、彼の店につれてってもらう。友達がその店でめちゃくちゃしたので追いかけ回されたため、坂道を駆け下る。友達はそれに懲りて、「僕、就職するわ」といって消えていく。すると僕は軽くなって宙に浮く。最終的には毒の葉っぱを食べて墜落する。その毒の図解の解説が最後にあって目が覚める。
そんな夢を見ていたら、一日が終わってしまった。
三浦清宏の『長男の出家』を読む。家族の諸相が上手く描けていた。磯崎憲一郎を私小説化すればこういう風になるのか、と思った。三浦清宏は小島信夫と半年同棲していたらしいし、そういう事もあると思う。
田中小実昌『ポロポロ』の残りを読む。さすが、本当に面白かった。最後の2編は物語を名指しして意識しながら戦争を描こうとしている。
従軍した人の口が重いのは、その体験がものすごく悲惨であるからだ、という前に、そこでの体験をことばにする方法がないからなのかもしれない。そこでの「事実」を「物語」にすることはできるかもしれないけれど、「物語」にすることは、そのことを伝えることにはならない。その体験をあえて伝えようとするには、「事実」が「物語」と化すことに意識しながら、ポロポロ語っていくしかない。そうしてできたこの小説を、僕はつっかえながら読み、レクイエムと文字とを往復した。と、僕は書いた。事物を「物語」として認識しても、その事物は永遠に分からないのではないか。その事物をあえて伝えるためには、こういう書き方しかないのではないか。
深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』を拾い読みする。この人も本当に面白い。かわいい。周りの人物、石原慎太郎でも、かわいく見える。そういうのは実はかなり力のある文章というか、批評の核となる何かを持っていないと書けない文章だろうな。
森敦の『浄土』を読む。彼は本当に良い文章を書く。美しい文章を書く。僕は小説を読むのが苦手で、情景が上手く浮かぶことがないが、いつのまにか、彼のフィールドに入り込んでしまっているのでびっくりする。 非常に大変な人である。他に類がない。
ここまでが朝の8時で、その後、僕はものすごく寝てしまった。自分は友達と変な国に居り、セミナーを受け、恍惚としてる現地人にたかり、彼の店につれてってもらう。友達がその店でめちゃくちゃしたので追いかけ回されたため、坂道を駆け下る。友達はそれに懲りて、「僕、就職するわ」といって消えていく。すると僕は軽くなって宙に浮く。最終的には毒の葉っぱを食べて墜落する。その毒の図解の解説が最後にあって目が覚める。
そんな夢を見ていたら、一日が終わってしまった。
2011年11月11日金曜日
ボア
11/11
朝起きると心臓が痛かった。服を三枚着て寝てしまった。いつの間にか寝てしまった。起きたら12時だった。僕は首を振った。寒かった。
朝は牛丼屋さんに行きました。いつもありがとうございます。
クリントン・イーストウッドの『父親たちの星条旗(Flags of our Fathers) 』を見た。スピルバーグの時も言ったけれど、これぞ映画だ、と僕は感動してしまった。イーストウッドのほうがもっとフォードとか、ルノワールとかの伝統を意識してるのかな、見てるとそういう連想をしてしまった。それは、映画によって世界そのものを映し出しているというか、現実を撮っているという意識が強いからなのかな。人を撮っているというよりも、人々がいて、群衆になって、戦争があって、国威効用のイベントがあって、家族があるんだけれど、それはその世界の中で繰り広げられてるんだなぁ、という所に意識があるからなのか。そういう世界に人々が突入している感じに描かれている。映画の楽しみというのはこういう所にあるなぁ、と感じさせる。
後輩がmacを買って、dtmを始めようとしていると言っていたので、むずかしいよ、と進言させていただきました。dtmが出来るようになったら、僕にも教えてもらいたいな。彼はいつも仲良くさせてもらっている昆布さんと友達らしくて、感動した。また呑みにいきたいな。呑みましょう!
夜になったので、ラーメンを食べにいきます。ありがとうございます。でも、回転寿しにもいきたかったなぁ、と思い出す。
三浦清宏の『長男の出家 新版』がきていたので今から読みます。いつもありがとうございます。
朝起きると心臓が痛かった。服を三枚着て寝てしまった。いつの間にか寝てしまった。起きたら12時だった。僕は首を振った。寒かった。
朝は牛丼屋さんに行きました。いつもありがとうございます。
クリントン・イーストウッドの『父親たちの星条旗(Flags of our Fathers) 』を見た。スピルバーグの時も言ったけれど、これぞ映画だ、と僕は感動してしまった。イーストウッドのほうがもっとフォードとか、ルノワールとかの伝統を意識してるのかな、見てるとそういう連想をしてしまった。それは、映画によって世界そのものを映し出しているというか、現実を撮っているという意識が強いからなのかな。人を撮っているというよりも、人々がいて、群衆になって、戦争があって、国威効用のイベントがあって、家族があるんだけれど、それはその世界の中で繰り広げられてるんだなぁ、という所に意識があるからなのか。そういう世界に人々が突入している感じに描かれている。映画の楽しみというのはこういう所にあるなぁ、と感じさせる。
後輩がmacを買って、dtmを始めようとしていると言っていたので、むずかしいよ、と進言させていただきました。dtmが出来るようになったら、僕にも教えてもらいたいな。彼はいつも仲良くさせてもらっている昆布さんと友達らしくて、感動した。また呑みにいきたいな。呑みましょう!
夜になったので、ラーメンを食べにいきます。ありがとうございます。でも、回転寿しにもいきたかったなぁ、と思い出す。
三浦清宏の『長男の出家 新版』がきていたので今から読みます。いつもありがとうございます。
レニ
11/10
意識が遠のいていきなり11日になってしまった感がある。
昨日は、朝早く起きたので、木曜恒例で100円で本を売ってくれる市場が開催されるので、そこに行く。早くから行く人というのは割と同じ顔ぶれで、いつもありえない量の本を買っていく。どういうことなんだろう。
100円なのに、びっくりするような本が、朝にはまだ残っているので、古本市は朝に行きたい。中上健次がいきなり7冊程あったこともある。古井由吉はたいていこの古本市で100円で買いあさっている。今日は石川啄木の『romazinikki』を買った。変な哲学者の日記っぽいのもあったけど、鬱っぽいからいいかなぁと思ったけど、なんかややこしそうなのでパス。またであえるといいね。荒川洋治の『日記をつける』があったのに買わなかったのは今思うと良くなかったとおもう。小林勇の『蝸牛庵訪問記』もあったけど、買わなかった。つい買いすぎてしまうから、セーブしようとしたんだけど、セーブしすぎたかなぁ、まぁ結局結構買ってしまった。
いえにかえって、スティーブン・スピルバーグの『ミュンヘン』を見る。これこそが映画だ!という映画だったように思う。本当に素晴らしかった。社会と個人を緊張感を持って描けている作品は本当に素晴らしい。現実を写してしまう映画というシステムを上手く使えているな、とも思った。そりゃ巨匠だから当たり前でしょ!って思うかもしれないけれど、今まであんまりそういうイメージはなかったので、しまったなぁ、そんしたなぁ、という気持ち。前見た『宇宙戦争』もよかった。
あまりに良かったせいか、見た直後に意識をうしなってしまった。寝てただけかもしれないけれど、起きたあと、しんぞうがいたかった。
意識が遠のいていきなり11日になってしまった感がある。
昨日は、朝早く起きたので、木曜恒例で100円で本を売ってくれる市場が開催されるので、そこに行く。早くから行く人というのは割と同じ顔ぶれで、いつもありえない量の本を買っていく。どういうことなんだろう。
100円なのに、びっくりするような本が、朝にはまだ残っているので、古本市は朝に行きたい。中上健次がいきなり7冊程あったこともある。古井由吉はたいていこの古本市で100円で買いあさっている。今日は石川啄木の『romazinikki』を買った。変な哲学者の日記っぽいのもあったけど、鬱っぽいからいいかなぁと思ったけど、なんかややこしそうなのでパス。またであえるといいね。荒川洋治の『日記をつける』があったのに買わなかったのは今思うと良くなかったとおもう。小林勇の『蝸牛庵訪問記』もあったけど、買わなかった。つい買いすぎてしまうから、セーブしようとしたんだけど、セーブしすぎたかなぁ、まぁ結局結構買ってしまった。
いえにかえって、スティーブン・スピルバーグの『ミュンヘン』を見る。これこそが映画だ!という映画だったように思う。本当に素晴らしかった。社会と個人を緊張感を持って描けている作品は本当に素晴らしい。現実を写してしまう映画というシステムを上手く使えているな、とも思った。そりゃ巨匠だから当たり前でしょ!って思うかもしれないけれど、今まであんまりそういうイメージはなかったので、しまったなぁ、そんしたなぁ、という気持ち。前見た『宇宙戦争』もよかった。
あまりに良かったせいか、見た直後に意識をうしなってしまった。寝てただけかもしれないけれど、起きたあと、しんぞうがいたかった。
2011年11月9日水曜日
レニ
11/10
朝吹真理子と西村賢太の対談の動画がyoutubeに上がっている。先日それを見て、面白かった。この二人が並ぶと、どうしても、財閥系のお嬢様と最底辺のおっさんというすごい感じではある。こういう感じであるから、作風も全く違う。朝吹さんの小説は、本当に凄い。『流跡』なんかは本当に読むのが楽しくて、書店で立ち読みしていることも忘れて一気に読んでしまった。古井由吉のような、大作家になるようでわくわくしている。(まさか同世代でこんな人が出るとは!)西村さんもスゴい。悲しくて、どこにも回収されない、どうしようもない生活をあれだけ面白く書けている作品は、素直に希望が持てるような気がする。(それに関して言うと朝吹さんは幸せで満ち満ちている。)こういう風であるから、どうもどちらかが好きでどちらかがものすごく嫌いだ、という人が僕の周りには多い。なんとかならないものか。
朝:ごはん ソーセージ お漬け物を食べる。いつもありがとうございます。図書館から延滞していたタブッキの『フェルナント・ペソア の最後の三日間』を読む。とても良い本です。タブッキは久しぶりだったので、本当に効いた。出会った、という感じ。ペソアの変名との対話というのがいいじゃないですか。ペソアの変名それぞれの機能がそれぞれ物語を持つというのは、まさに小説ができる小説だ、と。
遅ればせながら、田中小実昌の『ポロポロ』を読み始める。その通り、ポロポロっと書いてある小説だ。ただ、コミさんの小説を読むと、なんとなくよくわかんなくなってきて、頭がくらくらる。特別になってしまうことを排して小説を書くというのが本当にすばらしい。その、特別さを排除する姿勢は、写実に専念するだとか、「アンチロマン」だとかでは決してない。この小説はなんなのか。小説でしかないのか。小説でしかないのだろう。こうして考えると自分がアホになったように思えてしまうけれど、やっぱりアホなのか。コミさんがアホなのか。コミさんはアホなフリをしているという感じはある。むしろ、何かと戦っているようなラディカルささえある気がする。そういう意味では狡猾なのかもしれないけれど、コミさんに狡猾という言葉は全く似合わない。素朴なのか。素朴というのもおかしい。何ともいえない違和感を保持しつつ、ギリギリのところをさまよいつつ(彼らは何のために歩いているのだ?)、どうしてだろう、小説が出来上がっているのが面白いし、やめられない。それこそ、ポロポロっと読んでしまう。
本を読むということは、何の得にもならないし、本に毒をもらってしまうことだってあるらしいのだけれど、やめられない。そもそも得だとか意味だとかでなく、例えば祈りなんかでも全くないのだけれど、やめられない。これはどうしようもない。これはどういうことなのだろう。やっぱり、そこに残っているからだろうか。そこにどうしようもなく存在しているからだろうか。そういうのに何となく励まされるというか、あいさつするということはあるのかもしれない。
朝:ごはん ソーセージ お漬け物を食べる。いつもありがとうございます。図書館から延滞していたタブッキの『フェルナント・ペソア の最後の三日間』を読む。とても良い本です。タブッキは久しぶりだったので、本当に効いた。出会った、という感じ。ペソアの変名との対話というのがいいじゃないですか。ペソアの変名それぞれの機能がそれぞれ物語を持つというのは、まさに小説ができる小説だ、と。
遅ればせながら、田中小実昌の『ポロポロ』を読み始める。その通り、ポロポロっと書いてある小説だ。ただ、コミさんの小説を読むと、なんとなくよくわかんなくなってきて、頭がくらくらる。特別になってしまうことを排して小説を書くというのが本当にすばらしい。その、特別さを排除する姿勢は、写実に専念するだとか、「アンチロマン」だとかでは決してない。この小説はなんなのか。小説でしかないのか。小説でしかないのだろう。こうして考えると自分がアホになったように思えてしまうけれど、やっぱりアホなのか。コミさんがアホなのか。コミさんはアホなフリをしているという感じはある。むしろ、何かと戦っているようなラディカルささえある気がする。そういう意味では狡猾なのかもしれないけれど、コミさんに狡猾という言葉は全く似合わない。素朴なのか。素朴というのもおかしい。何ともいえない違和感を保持しつつ、ギリギリのところをさまよいつつ(彼らは何のために歩いているのだ?)、どうしてだろう、小説が出来上がっているのが面白いし、やめられない。それこそ、ポロポロっと読んでしまう。
本を読むということは、何の得にもならないし、本に毒をもらってしまうことだってあるらしいのだけれど、やめられない。そもそも得だとか意味だとかでなく、例えば祈りなんかでも全くないのだけれど、やめられない。これはどうしようもない。これはどういうことなのだろう。やっぱり、そこに残っているからだろうか。そこにどうしようもなく存在しているからだろうか。そういうのに何となく励まされるというか、あいさつするということはあるのかもしれない。
2011年11月8日火曜日
レニ
11/8
6:30とかに目が覚める。昨日早く寝たからだと思われる。昨日はとにかく眠たかった。
寝起きでスカイプ。むしろスカイプで目が覚めたという感じ。天井のニューアルバムの作業に入る。一曲仕上げた(?)。
今年の日大はすごかったらしい。七尾旅人もテニスコーツも出て、さながら現代版フォークジャンボリーだった。そりゃそっちに流れるわ!いいなぁ。
『ゴットファーザー』のラストシーン30分だけを見るという、考えてみれば謎な体験をした。
リーフェンシュタールの『民族の祭典』をちょこっと見るということもした。
『ホタルの墓』の実写版をみるということもした。中原昌也が怒ってた、アニメ・マンガ的な映画はこういうことなんだな、という映画だった。カメラ、人物造形、演技、空から蟻まで全てがアニメ的な記号で、せめて蛍ぐらいはCGでなく実写でとって欲しかった。カメラが現実を映し出す機械で、それを使った表象が映画であるのに、ここにある世界は全くヴァーチャルで、これはどういうことなんだろう。その点、『ゴットファーザー』や『民族の祭典』は生々しくてすごく興奮した。
6:30とかに目が覚める。昨日早く寝たからだと思われる。昨日はとにかく眠たかった。
寝起きでスカイプ。むしろスカイプで目が覚めたという感じ。天井のニューアルバムの作業に入る。一曲仕上げた(?)。
今年の日大はすごかったらしい。七尾旅人もテニスコーツも出て、さながら現代版フォークジャンボリーだった。そりゃそっちに流れるわ!いいなぁ。
『ゴットファーザー』のラストシーン30分だけを見るという、考えてみれば謎な体験をした。
リーフェンシュタールの『民族の祭典』をちょこっと見るということもした。
『ホタルの墓』の実写版をみるということもした。中原昌也が怒ってた、アニメ・マンガ的な映画はこういうことなんだな、という映画だった。カメラ、人物造形、演技、空から蟻まで全てがアニメ的な記号で、せめて蛍ぐらいはCGでなく実写でとって欲しかった。カメラが現実を映し出す機械で、それを使った表象が映画であるのに、ここにある世界は全くヴァーチャルで、これはどういうことなんだろう。その点、『ゴットファーザー』や『民族の祭典』は生々しくてすごく興奮した。
ボア
11/7
『彼岸過迄』を読む。探偵とかしだしてびっくり!
スーパーでティラミスを買う。
スポーツの現状の話を聞く。文化というものは、どこともお金の戦いであることは分かるのだけれども、文化なんか何気ない、些細なものだし、そこからはじまったわけで、そこに創出の喜びがあるとするなら、もろに大社会を相手にするよりも、オルタナティブを考えるべきなんじゃないのかなぁ、なんてことを思うんだけれど。なんにもならない、しょうもないことが普通に楽しいはず。
半額おはぎおかぶいか買って寝る。
『彼岸過迄』を読む。探偵とかしだしてびっくり!
スーパーでティラミスを買う。
スポーツの現状の話を聞く。文化というものは、どこともお金の戦いであることは分かるのだけれども、文化なんか何気ない、些細なものだし、そこからはじまったわけで、そこに創出の喜びがあるとするなら、もろに大社会を相手にするよりも、オルタナティブを考えるべきなんじゃないのかなぁ、なんてことを思うんだけれど。なんにもならない、しょうもないことが普通に楽しいはず。
半額おはぎおかぶいか買って寝る。
2011年11月7日月曜日
11/6
小島信夫『暮坂』読了。彼の中でもかなり毒を含んだ連作だと思う。こういう風に並べられると、後半の「暮坂」の話で開放的な感動(?)が引き立つ。
小島信夫を読む周期が回ってきたと思ったので、図書館で小島信夫を数冊借りる。『小説の楽しみ』は小島信夫の世界の楽屋裏のような講演録で、一見何の計算もなくぶっちゃけてるような形で講話が展開されているので、ものすごく面白い。 面白くて、あっという間に読み終わる。
同志社の学祭はテニスコーツが来るそうだ。いつも、学祭のチョイスは自分がちょうど聞きたいと思っているものを出してくるような気がするので、僕の感性もまだまだ同時代というか、案外若くて連続性があるのかもしれない。
いつの間にか寝てしまって2時頃に目が覚める。何時間かボーとしていたが、『彼岸過迄』を読む。
小島信夫『暮坂』読了。彼の中でもかなり毒を含んだ連作だと思う。こういう風に並べられると、後半の「暮坂」の話で開放的な感動(?)が引き立つ。
小島信夫を読む周期が回ってきたと思ったので、図書館で小島信夫を数冊借りる。『小説の楽しみ』は小島信夫の世界の楽屋裏のような講演録で、一見何の計算もなくぶっちゃけてるような形で講話が展開されているので、ものすごく面白い。 面白くて、あっという間に読み終わる。
同志社の学祭はテニスコーツが来るそうだ。いつも、学祭のチョイスは自分がちょうど聞きたいと思っているものを出してくるような気がするので、僕の感性もまだまだ同時代というか、案外若くて連続性があるのかもしれない。
いつの間にか寝てしまって2時頃に目が覚める。何時間かボーとしていたが、『彼岸過迄』を読む。
2011年11月6日日曜日
11/5
今日は何か一日中寝てた気がする。油断してスカイプしてたら一日をとんでもない形で過ごすことになる。スカムな一日だった。
友達と天井というユニットを組んでいる。今日、天井のユニットのアルバムが出来た。このアルバムはすごい。気が抜けすぎてどこまでも飛んでいきそうだ。
それと平行して、自分のフォークアルバムみたいなのを作った。ほぼcとgコードしか使っていない、親が泣きそうなものだけれど、まぁいいんじゃないか。ダウンロードできるので、iPodに入れて、聞いてみてください。こういう感じの歌を歌うと、またパンクスに「ヘタウマというレベルじゃない」とかよう分からんけどモダンな地平からバカにされるかもしれないけれど、そういう人間を不安に落とし込むためにやっているようなところもあるのでまぁいいでしょう。そのようところにするには、まだまだ至らない所があるかもしれないけれども、まぁいいでしょう。
小島信夫の『暮坂』であるが、題材がうさんくさいせいか(新興宗教だったり、ようわからん美術評論家だったり)、 なんか不安になる。この小説集はなんだか怖い。スカムとか言って良いのか分からないけれど、この小説集に関してはそうかもしれない。もちろん、ためらうということはスカムでかたつけることの出来ない深淵さがあるわけで、それが不安の種となるわけなのだけれど、それがスカムでない保証はどこにもない。そしてスカムになることを恐れている訳でもない。そもそもそういううさんくさいもの(との関係)からでしか、例えば幸せだとか、悲しみだとか、作品だとかは生まれないのではないのか。「すべてがしょうもないということ」はないだろうし、例えそうだとしても、そういう言い方をすることは間違っていて、それはデカダンでモダンな発想だからだ。それとは違ってこの小説は喜びに満ちたものである。スカムにもそういうものはあるかもしれない。
今日は何か一日中寝てた気がする。油断してスカイプしてたら一日をとんでもない形で過ごすことになる。スカムな一日だった。
友達と天井というユニットを組んでいる。今日、天井のユニットのアルバムが出来た。このアルバムはすごい。気が抜けすぎてどこまでも飛んでいきそうだ。
それと平行して、自分のフォークアルバムみたいなのを作った。ほぼcとgコードしか使っていない、親が泣きそうなものだけれど、まぁいいんじゃないか。ダウンロードできるので、iPodに入れて、聞いてみてください。こういう感じの歌を歌うと、またパンクスに「ヘタウマというレベルじゃない」とかよう分からんけどモダンな地平からバカにされるかもしれないけれど、そういう人間を不安に落とし込むためにやっているようなところもあるのでまぁいいでしょう。そのようところにするには、まだまだ至らない所があるかもしれないけれども、まぁいいでしょう。
小島信夫の『暮坂』であるが、題材がうさんくさいせいか(新興宗教だったり、ようわからん美術評論家だったり)、 なんか不安になる。この小説集はなんだか怖い。スカムとか言って良いのか分からないけれど、この小説集に関してはそうかもしれない。もちろん、ためらうということはスカムでかたつけることの出来ない深淵さがあるわけで、それが不安の種となるわけなのだけれど、それがスカムでない保証はどこにもない。そしてスカムになることを恐れている訳でもない。そもそもそういううさんくさいもの(との関係)からでしか、例えば幸せだとか、悲しみだとか、作品だとかは生まれないのではないのか。「すべてがしょうもないということ」はないだろうし、例えそうだとしても、そういう言い方をすることは間違っていて、それはデカダンでモダンな発想だからだ。それとは違ってこの小説は喜びに満ちたものである。スカムにもそういうものはあるかもしれない。
2011年11月4日金曜日
菅野満子
11/6ー7
夜の五時ごろ起床。まぁ多少はね?
デリダの『グラマトロジーについて』を読む。よくわからん。この本は何者かへのパロディとして読むべきなのかもしれない。
デリダの読書会の後、魚民へ。潮の匂いがする居酒屋でお魚を食べるのは本当にすばらしいことだ。大分呑んだような気がするが、安い。
その後、シープスでサークル人と合流。割と呑んでしまったみたいではっきり言ってあんまり覚えてないけれど、すばらしい夜だった。一回生としゃべれたのはすばらしいことだ。チープさをコンセプトとしたユニットを組むことを決める。
いつの間にか寝ていたらしく、12時に起きる。そのまま更級といううどん屋に行く。たぬきうどんというものを初めて食したが、とても上手い。あんかけでショウガも入っているからこれからの時期は暖まるだろう。
よくわからないソフトポルノb級マンガみたいなのを読みながらグダグダする。こんなどうしようもなくしょうもないマンガが存在することに感動して泣けてくる。ソフトポルノの方からマンガ界の波は来るだろう。マンガの未来は明るい。
天気がよくてバトミントンのラケット持ちながら帰ってくるぐらい天気がよかったので、吉田山の前を散歩しながら よくわからない音楽の話をする。保坂和志が来るらしく、話を聞きにいこうと思ったが、どうやら僕は日時を間違えていたらしく、悲しい。
夜の五時ごろ起床。まぁ多少はね?
デリダの『グラマトロジーについて』を読む。よくわからん。この本は何者かへのパロディとして読むべきなのかもしれない。
デリダの読書会の後、魚民へ。潮の匂いがする居酒屋でお魚を食べるのは本当にすばらしいことだ。大分呑んだような気がするが、安い。
その後、シープスでサークル人と合流。割と呑んでしまったみたいではっきり言ってあんまり覚えてないけれど、すばらしい夜だった。一回生としゃべれたのはすばらしいことだ。チープさをコンセプトとしたユニットを組むことを決める。
いつの間にか寝ていたらしく、12時に起きる。そのまま更級といううどん屋に行く。たぬきうどんというものを初めて食したが、とても上手い。あんかけでショウガも入っているからこれからの時期は暖まるだろう。
よくわからないソフトポルノb級マンガみたいなのを読みながらグダグダする。こんなどうしようもなくしょうもないマンガが存在することに感動して泣けてくる。ソフトポルノの方からマンガ界の波は来るだろう。マンガの未来は明るい。
天気がよくてバトミントンのラケット持ちながら帰ってくるぐらい天気がよかったので、吉田山の前を散歩しながら よくわからない音楽の話をする。保坂和志が来るらしく、話を聞きにいこうと思ったが、どうやら僕は日時を間違えていたらしく、悲しい。
2011年11月3日木曜日
ボア
11/2
記憶がボアダムズからしかない。といってもボアダムズのことをことを覚えているわけじゃない。あれは吹っ飛んだ。
ボアダムズには考えることがあるので、対決するぞ!という感じで行ったが、普通に圧倒された。
それは肉体的にも圧倒されたわけで、実際貧血を起こした。
アイちゃんがかわいくて、七尾旅人みたいではあった。彼が率いる20本のギターの指揮は迫力があって、バーンスタインみたいだった。いや、七尾旅人もこんな指揮をしていたかも。
トランス状態みたいになってうわぁーってなってると、久々にあーちゃんまで降臨してしまったので、本当に儀式みたいだった。あーちゃんはこうして東京からときどき京都に帰ってくる。
ボアダムズ後は、みんなですき焼きを食べることになった。すき焼きは何年ぶりだろう、というレベル。おいしいわぁ〜。ホモの話題で盛り上がる。朝までのんで帰ったら、パソコンにメッセージがあって、「そーちゃんはやっぱりクソですね。」サークルの友達が僕の部屋で僕の帰りを待っていたらしい。非常に申し訳ない。でも何となく微笑ましい。また呑もう!
記憶がボアダムズからしかない。といってもボアダムズのことをことを覚えているわけじゃない。あれは吹っ飛んだ。
ボアダムズには考えることがあるので、対決するぞ!という感じで行ったが、普通に圧倒された。
それは肉体的にも圧倒されたわけで、実際貧血を起こした。
アイちゃんがかわいくて、七尾旅人みたいではあった。彼が率いる20本のギターの指揮は迫力があって、バーンスタインみたいだった。いや、七尾旅人もこんな指揮をしていたかも。
トランス状態みたいになってうわぁーってなってると、久々にあーちゃんまで降臨してしまったので、本当に儀式みたいだった。あーちゃんはこうして東京からときどき京都に帰ってくる。
ボアダムズ後は、みんなですき焼きを食べることになった。すき焼きは何年ぶりだろう、というレベル。おいしいわぁ〜。ホモの話題で盛り上がる。朝までのんで帰ったら、パソコンにメッセージがあって、「そーちゃんはやっぱりクソですね。」サークルの友達が僕の部屋で僕の帰りを待っていたらしい。非常に申し訳ない。でも何となく微笑ましい。また呑もう!
2011年11月1日火曜日
菅野満子
11/1
朝起きたらネガポジだった。飲み会の終わりのみんな寝てる感じだったので起きて帰った。7:00。それから図書館で多羽田敏夫の『滅亡を越えてー田中小実昌・武田泰淳・深沢七郎』借りて読む。さっき田中小実昌の章を読み終わった。よく頑張っていると思う。最初にコミさんを読んだ感じを思い出した。しかし、借りたとき眠くて困った。
『トウキョウソナタ』という黒沢清監督の映画があるが、 ああいう感じになし崩しに不幸が続き家庭が崩壊して不幸になっちゃうけど思い返すと案外生きてられるものでぐしゃぐしゃになったところからでも案外何とかなるという映画があるんだけれども、帰り道、そんな映画を思い出した。
アマゾンから小島信夫の『暮坂』が届いた。ありがとうございます。読ませていただきます。
朝起きたらネガポジだった。飲み会の終わりのみんな寝てる感じだったので起きて帰った。7:00。それから図書館で多羽田敏夫の『滅亡を越えてー田中小実昌・武田泰淳・深沢七郎』借りて読む。さっき田中小実昌の章を読み終わった。よく頑張っていると思う。最初にコミさんを読んだ感じを思い出した。しかし、借りたとき眠くて困った。
『トウキョウソナタ』という黒沢清監督の映画があるが、 ああいう感じになし崩しに不幸が続き家庭が崩壊して不幸になっちゃうけど思い返すと案外生きてられるものでぐしゃぐしゃになったところからでも案外何とかなるという映画があるんだけれども、帰り道、そんな映画を思い出した。
アマゾンから小島信夫の『暮坂』が届いた。ありがとうございます。読ませていただきます。
菅野満子
10/31
庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』についての文章を書く。この小説は何というか気持ち悪いが、そういうのが大学生の思考プロセスを上手く書けているといえるのだろうか。11:00起床。今日は割とみんな優しかった。姫も誕生日だった。それだけでいい日なんだよなぁ。いつも本当に緊張するんだけど。イマイチ慣れない。
夜の七時頃からライブハウスでださい服で鍋大会をするということをみんなでした。思ったよりレベルが高くてとても面白かった。全体的にホモパンクがトレンドだった。鍋もうまくてそうなると酒も進む。久しぶりに会う人も多くて、そうなるとやっぱり幸せだなぁ。
山本精一の『ラプソディア』は羅針盤の『むすび』と感覚は似ているような気がする。どちらも山本精一とドラムで作っているからか。でも『プレイグラウンド』とは違う。『むすび』は山本精一とチャイナしかいない世界になっているようで、究極のラブソング(!)集みたいになってる。『ラプソディア』はそこからラブを抜いた(チャイナじゃないから)冷めた構築の『むすび』みたいになっていて、そう思うと終わっていることから出発しているとも言ってもいい。同じ構成でも『プレイグラウンド』は違う。あれは無作為というか相当リラックスして作ってる。山本精一の曲はどれもリラックスしているといえばそうだけど、『ラプソディア』とか羅針盤とかを無作為とは言えないような気がする。あれは構築されてる。
ポップということでハイポジ(hi-posi)を持ち出すこともあるだろうが、それを聞いてるからポップスがいける、みたいなことは、早川義夫が好きだからポップスが分かっている、と言ってるような違和感がある。ハイポジはポップの前にオルタナだし、それはJポップのオルタナで、渋谷系のオルタナということになるのだと思うが、つまり、そういう形式を借りて全く違うことをやろうとしているというところが彼女の良さで、僕はそれが凄く好きだ。その全く違うことは、彼女が今提唱している『ガーリー風水』ということになると思う。『ガーリー風水』的な「かわいいアンビエント」みたいなのが彼女の姿勢で、曲もどんどんそういう風になっていった気がする。あのふわふわしたトラックは「かわいい」と思うけどポップスではない。ポップスというにはあまりにも「かわいい」。「かわいい」すぎて逆に感情的なノイズがえげつないと思う。
ポップスを持ち出して評価する時は、僕はそれをオルタナとして評価することが多い。それは、例えば「名盤解放同盟」みたいなもので、あそこで解放された音は現在の消費体系とは全く関係ないし、ポップスの系譜としてそこまで組み込まれていない。だから、その音を、今、持ち出してきたことに意味があるし、 その行為がオルタナだと思っている。そういう感じでポップス面白いと思うことはあるけれど、ポップス自体をポップス自体で面白いとは僕は思えなくて、それは僕の欠点でもあるけれど、歌謡曲しか参照点がないのはどうかと思う。かと言って僕はアンチポップスじゃないし、例えば僕はミニモニ。(これはもはやポップスじゃないかもしれないけれど)が好きだし、ユーミンもはっぴいえんども好きだし…。ただ、判断中止的にポップスしているものはよくわからない。
こういう催しは本当に面白いからどんどんやってほしいなぁ。ちょっとステージに立たせてもらってリクエストがあった「おれはさむらい」と「ひる」と、初おひろめの「のぐそのうた2」を弾き語らせてもらう。そういうことをさせてもらえるのも本当にありがたい。
庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』についての文章を書く。この小説は何というか気持ち悪いが、そういうのが大学生の思考プロセスを上手く書けているといえるのだろうか。11:00起床。今日は割とみんな優しかった。姫も誕生日だった。それだけでいい日なんだよなぁ。いつも本当に緊張するんだけど。イマイチ慣れない。
夜の七時頃からライブハウスでださい服で鍋大会をするということをみんなでした。思ったよりレベルが高くてとても面白かった。全体的にホモパンクがトレンドだった。鍋もうまくてそうなると酒も進む。久しぶりに会う人も多くて、そうなるとやっぱり幸せだなぁ。
山本精一の『ラプソディア』は羅針盤の『むすび』と感覚は似ているような気がする。どちらも山本精一とドラムで作っているからか。でも『プレイグラウンド』とは違う。『むすび』は山本精一とチャイナしかいない世界になっているようで、究極のラブソング(!)集みたいになってる。『ラプソディア』はそこからラブを抜いた(チャイナじゃないから)冷めた構築の『むすび』みたいになっていて、そう思うと終わっていることから出発しているとも言ってもいい。同じ構成でも『プレイグラウンド』は違う。あれは無作為というか相当リラックスして作ってる。山本精一の曲はどれもリラックスしているといえばそうだけど、『ラプソディア』とか羅針盤とかを無作為とは言えないような気がする。あれは構築されてる。
ポップということでハイポジ(hi-posi)を持ち出すこともあるだろうが、それを聞いてるからポップスがいける、みたいなことは、早川義夫が好きだからポップスが分かっている、と言ってるような違和感がある。ハイポジはポップの前にオルタナだし、それはJポップのオルタナで、渋谷系のオルタナということになるのだと思うが、つまり、そういう形式を借りて全く違うことをやろうとしているというところが彼女の良さで、僕はそれが凄く好きだ。その全く違うことは、彼女が今提唱している『ガーリー風水』ということになると思う。『ガーリー風水』的な「かわいいアンビエント」みたいなのが彼女の姿勢で、曲もどんどんそういう風になっていった気がする。あのふわふわしたトラックは「かわいい」と思うけどポップスではない。ポップスというにはあまりにも「かわいい」。「かわいい」すぎて逆に感情的なノイズがえげつないと思う。
ポップスを持ち出して評価する時は、僕はそれをオルタナとして評価することが多い。それは、例えば「名盤解放同盟」みたいなもので、あそこで解放された音は現在の消費体系とは全く関係ないし、ポップスの系譜としてそこまで組み込まれていない。だから、その音を、今、持ち出してきたことに意味があるし、 その行為がオルタナだと思っている。そういう感じでポップス面白いと思うことはあるけれど、ポップス自体をポップス自体で面白いとは僕は思えなくて、それは僕の欠点でもあるけれど、歌謡曲しか参照点がないのはどうかと思う。かと言って僕はアンチポップスじゃないし、例えば僕はミニモニ。(これはもはやポップスじゃないかもしれないけれど)が好きだし、ユーミンもはっぴいえんども好きだし…。ただ、判断中止的にポップスしているものはよくわからない。
こういう催しは本当に面白いからどんどんやってほしいなぁ。ちょっとステージに立たせてもらってリクエストがあった「おれはさむらい」と「ひる」と、初おひろめの「のぐそのうた2」を弾き語らせてもらう。そういうことをさせてもらえるのも本当にありがたい。
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