2011年12月22日木曜日

12/21

母校にて

どうもご紹介に預かりました。谷内です。今日は木村さんのイベント「上級生と遊ぼう」に呼んでいただいてありがたいです。この人は前に、パフュームのプロデューサーである、田中ヤスタカ、をリスペクトする、テクノキッズと共に、テクノ茶会というのを開いていました。ダンスミュージックと茶会との融合と言うのは、とてもおもしろかったです。ギャグセンスが冴え渡る、すばらしい茶会に、千利休も踊り出すのではないでしょうか。大学生は楽しそうで、いいですね!

みなさんに一言ずつお言葉を頂戴する、ということで、私も何かいえたら、と思いましたが、今日は、パラレルワールドについて、お話しする、という題目を頂きました。先日も月食があったということで、みなさんそういう方向に向かわれているのでしょうか?(笑)いや、しかし共同体を志向するのであれば、宇宙的なことは、欠かせないですよね。サンラしかり、シュトックハウゼンしかり、白樺派しかり、ワーグナーもそうかもしれません。というか、普通にキリスト教だとか、そういうものが既に宇宙的なものを志向しているところがありますが、宗教だから当然かもしれません。とりあえず、これらの人たちは、世界のオルタナといいますか、もう一つの可能性を信じて、努力してきたわけですね。端的に言うと、コミューン的です。

よく私は、ロマン主義であるとか、物語を否定している、嫌悪している、と思われることがあるようです。確かにアンチロマンを標榜したこともあるかもしれません。私は、短気ですから、私は常に怒っているようなものです、そういうことも言ったかもしれません。僕は、世界が一つの世界の可能性(可能世界)しかないことにアゲインストしています。音楽畑の人はオルタナを想起してくれると、僕が思っているのはそういうことなのです。そこからなんとかずれ込みたい。何か違和感、あるいはハーモニーを持ち込みたい、と思う、そこから、開かれた世界の声を聞きたい、と思う人間です。僕がいままでやってきたものというのは、挑発であったり、ケンカを売ったりすることと何も変わらないことかもしれません。そもそも僕には自己がないので、僕には、さまざまな人の声を聞くことしか出来ません。さまざまな声に勝るものなんか、ないんじゃないか、とそう思います。それならば、それに従うだけ、それに従い、それの意見を聞き、それをうまく、損なわないように、汲み、対象化する。それが、例えば作品を作るときには、役に立つ考え方なのではないだろうか。私が持つものというのはそれだけです。そういう意味で、物語を強く打ち出すことが、恥ずかしい、ということはあります。だけれども、アンチロマンというのは、語義的に間違いでした。物語なんか自然に出てくるものなので、関係性があれば出てくるものなので、単に無視すれば良かったのです。書くことなら、書くことに意識的になればよかったのです。

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