2011年12月21日水曜日

12/20

手紙

ワーグナーしかりリストしかり、19世紀ロマン派の人は女性遍歴がヤバく、生活が普通でないのはなんなのか、という話から、ヤクザの話になった。
例えば、バッハは、教会から生活が保証されていた、お雇いのオルガニストだった。モーツァルトが、音楽家は自立しなきゃ、といって、あんな借金まみれのどうしようもない生活をしていたのは、あれはどう考えても堕落であり、モーツァルトは最初にヤクザになった音楽家ともいえるそうだ。神が居なくなった時代、芸術家は社会から排除されるようになると、芸術家はまた新たな共同体を作る風に目指す。ベートーヴェンの理念的な作曲はそういう志向があるし、詩人は怪しげなサークルを作り出そうとする。(そういうサークルは、サンラに至るまであるよなぁ。)それか、女神を祭り上げる、と。まぁ、そして、そういうグループはまぁ、ホモソーシャルみたいな傾向になるんだと、根無し草という不安は、血の結束的な集団をつくるのだと、それか、全てを受け止めてくれる女神を崇拝するのだ、と、そういう風な話を聞く。 文学部に入るようなやつは半分カタギの世界から身を引いているのだ、という話も聞いた。そうだよなぁ。大学院の人とか若干ヤクザっぽいし(坂口安吾とかやってるからか?)、教授とかもボスっぽい人もいるだろう。舎弟を抱えて、僕たちは血のワインを飲むのです。メリークリスマス!

そうやって何も考えずに歩いていると、日頃お世話になっている野村さん(仮名)に会う。彼は卒論がヤバいそうなので、本当に急がしそうだ。資料のコピーに十万ぐらいつぎ込んだらしい。どういうことなのか。森鴎外は恐ろしい。

僕の友達はたいてい彼女持ちで、それでいて、彼女ぐるみのおつきあいをさせてもらうことが多い。ちょうど会ったので、月食の話や彗星の話をする。それにしても、周りにキャバクラで働いている女の子が多い。やっぱりこういう系はカタギではないのか。あんま関係ないか。例えば、歌舞伎というのは高いけれど、ああいうところには、永井荷風ばりの、粋な老人が女の子をつれてバリバリやっていると思う。遊びの名人か。文化なんてそもそもしょうもないものなのだから、消え失せてしまえ、というような意気込みで、その文化に乗りながら、遊ぶことは、断然に教養人だと思うけれど、カタギじゃないかもしれない。ましまろを食べる。

野村さんが忙しそうなので、手伝う。書庫で、雑誌をひたすら集める作業を一時間ほどする。それをいざコピーしようという段で、書庫がしまったので、この作業は全く意味をなくしてしまった。舞姫だけに、私たちは、踊らされたわけである。

舞姫だけに、きりきり舞いである。

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