2012年2月11日土曜日

二月です

二月四日
バンバンボリーズの佐伯さんと御所でひなたぼっこをした。缶コーヒーをごちそうになった、ありがとうございます。変な木の下で写真をとってもらった。俳句詠めやオラ!とか僕が仕向けたんだろうか、俳句を詠んだ。

労働者石のびちじみ咳一つ

老木ズタズタズタズタ少年愛

とかなんか共産党員みたいな句が出来ててびっくりする。これじゃ文学みたいだ、と笑い合う。

読書会で読書する。
直線的文字(エクリチュール)の終焉は、まさしく書物の終焉である。たとえ、新たな文字表現(エクリチュール)ー文学的であろうと理論的であろうとーがどうにかこうにか包摂され得るのは、今日でもなお書物という形式においてではあるとしても。しかしながら、問題なのはこれまでに記述されなかった文字表現(エクリチュール)を書物という包摂に委ねることではなく、けっきょくのところ、すでに書物の行[直線]間に書かれていたことを読み取ることである。それゆえわれわれは、行[直線]なしで書き始めることによって、また過去の文字表現(文字表現)を空間の別の組織化にしたがって読み直す。読解の問題が今日学の全面を占めているとすれば、それは文字表現(エクリチュール)の二つの時代間のこの宙ぶらりんな状態による。われわれは、別な風に書き始めるがゆえに、別な風に読み直さねばならないのだ。
一世紀以上のあいだ、哲学、科学、文学に関してこの不安定さが認められるが、それらのあらゆる変動は、徐々に直線的なモデルを破壊する衝動として解釈されねばならない。そのモデルは語り的 [叙情詩的]モデルだと言おう。
つまり、2000年ぐらい経って、今ある安定した科学的世界観(直線)が更新されたら、僕らの認識とか書き物が叙情詩みたいになるんだねヒャッホウ!僕たちも、大きな人になろう!

流れでカラオケに行く。隠れてウィスキーを持ち込みながら歌う。おお、なんかこういうノリ、何かよく分からないけど、若い!?ORANGE RANGEやスピッツやミスチルなんかを歌い出す。なんかここらへんは、古い?でもORANGE RANGEは偉いなぁ。「上海ハニーと浜辺社交ダンス/見つめっぱなしたまんねえ女神/あ、なんか、君のこと良く知らないけれど/なんかときめいてマス」とかはザ☆庶民という感じがしてすごく偉い。こういうチャラオ?はたぶんとてもかわいい。でも叙情性がないから、ミスチルに取って代わられたんだろうな。でも今はキャリーパミュパミュとかいう人らしくて、あれは確か田中ヤスタカですよね?えらいなぁ、田中は!東京ブギウギから続くダンスミュージックの系譜は、脈々と続いていますよ!服部良一さん!でも、僕はやっぱり桑田ケイスケなんですねぇ〜。案の定、途中で姫も祇園の仕事が終わってやってきたけれど、もうどうでもいいや!

二月五日
呑んだ次の朝というのは、めちゃくちゃになる。佐伯さんが言うように、寝る前にうどんとか食っとけばよかった。起きた後も全然頭が動かないです。

六日
今日が期限のレポートがあったので、急いで書く。五日は全く頭が動かなかったので、ダメなんですね〜。ROVOを聞きながら書く。俺はまるで人力トランスだ!

七日

八日

ボーと本を読んでると、ブァーってバンバンボリーズの佐伯さんとムラカミマイが僕の家にいらっしゃった。ネガポジでガァーって呑んでたみたいだ。ムラカミマイさんのテンションがブァーっと高い。さえきっちは、すぐ寝てしまった。なんやねん、こいつ!人の家に居たら、すぐ寝る人か!人の家におじゃましたら、すぐ寝るタイプの、人間か!ムラカミマイさんが、「うわぁー!ハッピネス!」とかおっしゃり、小島信夫の『ハッピネス』を手に取った。「せやねん、小島信夫は一番偉いねん、偉いねん!」といいながら、朗読させて頂いた。

反復と追憶とは同一の運動である。ただ方向が反対であるというだけの違いである。つまり、追憶されるものは。既にあったものであり、それが後方に向って反復されるのに、本当の反復は、前方に向かって追憶される。だから反復は、それが出来るなら、人を幸福にするが、追憶は人を不幸にする。キルケゴール
( ってエピグラムやったわ!ハハハハハハ!!)

三月に入って間もない頃、一通の手紙がいまいましい広告印刷物の束の山の上に宝石のように光り輝いて、ポストの中から出てきた。
ポストの蓋をあけて絶望的になるのは私用の手紙が今日もゼロだということだ。ところが今日はどうだ。数えてみればMと別れてから十五年以上になる。その男からの手紙なのだ。これは奇跡というよりいいようがない。幸せなことにその男から因縁をつけられるような悪いことはした憶えはない。(ハハハハハハ!)
手紙の中に書いてある、ぼくはあの後、あなた方と別れてアイルランドへ渡り、そこでアイルランド娘と結婚して男児二人をもうけ、今はカナダのE大学にいる。今度われわれの特権であるサバティカル・リーブというやつで賜暇で日本に戻ってきた。
このあたりで、ムラカミマイさんは、「あたしムラカミマイ!」とおっしゃった。 藤枝静男の『空気頭』が目に付いたようなので、それも朗読した。
 二十代の終わりころ、瀧井孝作氏を訪問すると二、三百枚の本郷松屋製の原稿用紙を私の前に置いて「これに小説を書いてみよ」と云われたことがあった。そして「小説というものは、自分のことをありのままに、少しも歪めず書けばそれでよい。嘘なんか必要ない」と云われた。私は有難いと思ったが、もちろん書かなかった。そのころの私には、書くべき「自分」などどこにもなかったから、書きようがなかったのである。
私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。
私は、ひとり考えで、私小説にはふたとおりあると思っている。そのひとつは、瀧井氏が云われたとおり、自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写して行って、それを手掛りとして、自分にもよく解らなかった自己を他と識別するというやり方で、つまり本来から云えば完全な独言で、他人の同感を期待せぬものである。もうひとつの私小説というのは、材料としては自分の生活を用いるが、それに一応の決着をつけ、気持ちのうえでも区切りをつけたうえで、わかりいいように嘘を加えて組みたてて「こういう気持ちでもいいと思うが、どうだろうか」と人に同感を求めるために書くやり方である。つまり、解決ずみだから、他人のことを書いているようなものである。訴えとか告白とか云えば多少聞こえはいいが、もともとの気持ちから云えば弁解のようなもので、本心は女々しいものである。
とか読んでいったので、ナハハハハハ!お前は空気頭じゃ!空気頭じゃ!と喜んだ。佐伯さんも起きた。みんな起きたので、もう一度小島信夫の『ハッピネス』を読んだ。
Mはひいきにしてやっているという彼のアパートの一階のユダヤ人の食料品店にわざわざ土曜日の午後買いに寄った。 彼は、確かに割安のハムをきざんで、「Hさん、これ、入れる?入れない?入れましょうね、仕様がねえや、妥協しよう」といって贋うどんのヌードルをすすりながら、「やつらはケナゲともいえるからな。ただぼくなんかを熊公、八公だと思っているらしい大家のおばはん、日本の文字についてうるさいことをきくからな。どうして、ああいう漢字とカナの二色をつかうのだ、ときくからな。いくらかは分かっているんだ。二色じゃねえんだ、三色だよ、といってやるんだ。(何の話や!なんの小説や!)あのグローサリーへ入っていくときは文字のことは止せ、といってやるのさ。しかし、男みたいにぼくの肩を抱くのだな。(こんな感じでか!!/あ、ほんまやなぁ、なるほど。あ、そうやな。ほんまにそうだな。あ〜確かにそうだな!ここは、そういうことだったのか!)
最後に、小島信夫の『残光」を読んだ。
第一章

これから、時々、その名が出てくるかもしれない、山崎勉さんという人は、英文学者で、たいへん魅力的な声をしている。この人は、前にぼくの八十八歳の祝いの小さい小さい会が催されたときに最初に演壇にあがってしゃべってくれた人である。そのあとに続いて、保坂和志さんがぼくのことを語ってくれた。その一部始終は、「青ミドロ」というタイトルで、当時出た「新潮」に載っている。
山崎さんは、保坂さんの、『プレーンソング』も芥川賞になった『この人の閾(いき)』も『カンバセイション・ピース』も読んでいた。『カンバセイション・ピース』は、ぼくが電話をかけて、読んでくれるように頼んだ。そのときの読後感も話してもらった。それ相応にきびしいところもあったりして、そのあとも保坂さんのものは、おおよそのところ読んで報告してくれる。
読み始めから、なんやねんこれ、と、私たちは笑いが止まらなかったが、これは本当にすごい!出だしがすごい!と、出だしの、「これから、時々、その名が出てくるかもしれない、 山崎勉さんという人は、英文学者で、たいへん魅力的な声をしている。」の行を何回か読んだ。

九日

十日

エリック・ロメールの『友達の恋人』という映画を見たが、これも今まで見たことのない感じの映画…。淡々と進行して行く、その行き方に度肝抜かれた。変に即物的なのかな?人の行動がどんどん画面に滑り込んでくる。人の気持ちの移り変わりを写すものとしてのセリフ(行い)が軽やかに展開されているのがカメラに映されていて、結末に向かっての製造プロセスをポンポンポーンと、証明していくようなノリはなんかそれだけでおかしくて笑ってしまう。この人は、なんか風景だけでも笑えてくるところはある。特典の『風景の変貌』という、ただ工業地帯的な風景を撮っただけの映画があるのだが、そんだけの内容なのに、おかしい。不思議な監督だな。

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