遅くに起きた。ぐうたらしているわけではないぞ、お母さん。
今日は山本精一のセッションがあるので、アイリッシュの子のライブが見れなくて悲しいなぁ〜、本当に山本精一のライブに行っていいのかなぁ、と思いながらも、今日こそは、山本精一としゃべるんだ!と決心したので、山本精一のライブに行くことに決めた。
しばらくマイルスでも聞いて、コーヒーを飲みながら、『ソクラテスの弁明』の残りを読んでしまうと、コーヒーが思ったより濃くて、くちびるの代謝が早くなり、皮が剥けてしまった。よくあることではある。これは、何なんだろう?
『ソクラテスの弁明』を読んでいると、田中小実昌を思い出す。ソクラテスの話す文体って、コミマサみたいに優しくて、ヘンテコだけれど、何も反論できない。もちろん、プラトンが書いているから、コミマサよりも若干読みやすい。もしかしたらそれは、大きな損失なのかもね、と柄谷さんが、言っていたのを思い出した。
コーヒーを若干飲み過ぎたので、寒空の中、家を出ても、心地よい。いい話だ。マイルスを聞いていると、もう春かと思うけれど、しばらくすると、芯から冷えてくる。手袋はもういいか、と思ったのでしなかったけれど、手袋をしたほうがよかった。
『ソクラテスの弁明』が読み終わり、続けて、『ワインズバーグ=オハイオ』をチビチビ読み、もう今日はいいか、となると、藤枝静男の『異床同夢』を読む。『ワインズバーグ=オハオ』にある、人物は、本当に、それぞれの人生を生きていて、それぞれの物語を持っていて、かつそれが自然に出てくる。アンダーソンさんは、どれだけ多くの人生を、生き直したのだろう。藤枝静男さんは、一つの出来事を、真剣に向き合って、それこそ、診察のように、向き合って、描く。少しヘンテコな所があって、クスクスするところもあるけれども、基本的に、結核で死んだ家族の話だ。
読み終わったので、ご飯を全く食べていなかったので、でも、なか卯にいつも行くのは、気が引けるので、すき家にいくことにした。すき家に行くには、鴨川のデルタ(三角州)を渡り、京大のキャンパスのある、百万辺というところまでいかなければいけない。寒空でも昼間は人がたくさんいるが、川辺など特に寒いと思う。今日の帰り、夜の11時ごろ、川辺で二人がちじこまりながら座っていたことを思い出した。 すき家では、今割引がされている、チーズ牛丼を食べた。チーズ牛丼って、意味が分からないよね。でも、これが、わりとおいしいのです。割引されてから、おろしポン酢牛丼もあるのだけれど、こっちを食べている。
すき家で食べ、近くにあった古本屋を冷やかしたあと、鴨川のデルタにかかる橋を渡っていると、なんとなく、神社に寄りたくなった。初詣はとっくに済ませたのだけれど、思うことがあったのだろう。なんとなく、神社に寄りたくなった。自転車を降りて、500メートルはある参道を、歩いた。こうして、森の中を歩くのも、久しぶりだ。鳩がくちばしで腐葉土の上にかぶさる枯れ葉をわけている。大きな鳥居をくぐると、結婚式の写真を撮っている。もちろん新婦は白い服を着ている。右端に居るおじいちゃんは車いすに乗っている、その横に、黄色いドレスを着た女の子が立っている。みんなちゃんとした顔をしていて、どういう気持ちなのだろう。そういうことは、分からないけれど、20人ぐらいの親族が、集合して写真を撮っていることは、わかる。私たち(参拝客)は、こういうものは、やはりよく見てしまうものだけれども、よく見ていても、僕は表情から大したことは、読み取れない。昔、浅草観光の帰りにさくらこと東京の六本木ヒルズにある、森美術館へ、歴代のターナー賞受賞の作品が展示してある企画を見に行ったことがある。美術館に熊のぬいぐるみを着たアーティストが一日中うろついているビデオとか、偏屈なものばかりでとても面白かったけれど、その中で、人が集合して、集合写真をとるような形態をとって、動かないで!と指示されて、そのまま二時間ほどの人間の集合を映した映像があったけれども、みんなそれぞれ、ヘンテコリンになる瞬間がある。
忘れないうちに書いておこうと思うから、まとまっていないかもしれないけれど、しゃべります。山本精一は、音のはやさについて、このようなことを書いている。
音のはやさを求めてゆく。からだの速度を上げてゆけばゆくほど、どんどん弦のスピードは遅くなってゆく。身体の限界ということではなく、いつだって音のはやさに、ヒトは追いつくことができない。音を出した瞬間、音自身、猛スピードで全方位をめざすわけで、そのことに、ヒトは当面呆然として、一寸の躊躇が生じる。フライングすれすれの音のスタート・ダッシュに対し、こちら側は何か強力な埋め合わせが必要となる。阿部薫という人は、サックスの演奏で音速を超えようとした。
全ての重さと速さを加重加速させながら、全エネルギーと全情念と、全肉体、そして精神を演奏へと駆りながら阿部はまさに天国と地獄を往復するようにしてアルトを吹きまくっていた。彼は肉体を浮き立たすものとしての演奏を否定するようにして、肉体にはメタフィジクを、メタフィジクにはメタフィジクをそれぞれの刺客のように呼び込みつつ、超絶した演奏のこちら側に、自己の終りと世界の終りを共に見つめるようにして立ちつくしていた。 (間章「<なしくずしの死>への覚書と断片ー破壊者の自縛と無産者の栄光」)阿部さんのしていることは、すべてを賭ければ、音は音(速)を無限遡行的に超えることができ、その限界には、すなわち、彼岸が見える、ということをいっているけれど、それは、死ぬってことだ。阿部の課題である音速の壁への責任は、なしくずしの死として償われる。なんだ、最初っから死って分かってたんじゃん。こいつは、死ぬぞ、って、分かってたんじゃん。そこに対して、山本精一は上手いことを言っている。「身体の限界ということではなく、いつだって音のはやさに、ヒトは追いつくことができない。」音は瞬く間に僕たちを取り囲んでしまい、私たちは逃げるヒマがない。どうすればいいのか。その圧倒的はやさで迫り込んでくる音に対して、「こちら側は何か強力な埋め合わせが必要となる」。音が出てしまったことは、どうしようもない。それを、私たちは、どのように処理するか、音が元々持つ圧倒的はやさに僕たちはどのようなはやさで挑むのか。そう考えると、音のはやさについて、何か上手く処理できそうだ。ところで、ラブジョイの音楽は、すべての、思ってしまった思いや諦めなどのはやさに対して、先回りして、というかもしかしたら、同時に、出てくる音楽だ。
もう どうしようもないくらいこのことはとりあえずここまでにしておこう。僕も寝なければならない。
君のことが 好き
もう 嘘も本当もない
本気で 叫んだ
ああ、君の衿に 風が
ふいに吹いてきた
大あくびしたあと 笑う
目が うるんでいる
君に残すものはないから
この歌 この声 覚えていて
私は山本精一の追っかけみたいになっている。特にファンでもなんでもないのだけれど、やっぱり気になる存在なので、ライブがあるとついつい行ってしまう。山本精一の演奏について考えるのが、もっぱらの私の興味であるけれども、考えるようなものでもないんです。そしてほんまもんのおっかけが前に多少列を作っている。前の三人はもう覚えた。ミドルグレイな女の子二人と、ナードな男の子が一人で、この男の子は毎回ヘッドホンで音楽を聴き、手には録音機を持っている。
今日はセッションをしてもらった。ドラム、ベース&打楽器、そしてギターとちょっと打楽器、という編成で、おもしろそう。開演するまで、小島信夫・森敦の対談『文学と人生』を読む。
小島(中略)さっきの同性愛ということなんですけれども、結局、男と女の場合でも、やはり文学の話をするときには、熱烈に話を交わしているときには、ほとんど外から見れば恋愛と同じようになるわけですね。また外から見なくても、その要素をもっていると思うんですね。それは結局、その人間に対して恋したりしているんじゃなくて、共通のなにかをねらってやっているわけですね。その問題をうまく説明できないんだけれども、そういうことじゃないかなと思ったり、いろいろ考えて、結論は出なくてもいいんですけれどもね。
僕の場合なんかは、さっき自分がなくなるといったけれども、向うに一体になっちゃうわけですね。一心同体ということを言いましたけれども、いろんな意味があるけど、それに似たような状態になって、そのときはそういうふうになりますけど、またあとでもり返すでしょう。そこのところが、自分にとっては、その操作を繰り返したんじゃないかと思うんですよね。それはいろんな段階でね。そのことをずっと考えておるんだけれども、人に伝えにくい言葉があるんですけどね。だから、そんなことを考えてきたんだけれども、どうもあまりはっきりしないし、話を出してなんとかしようと思ってきたんです。読んでいると、チューニングみたいな感じで何か始まってきた。演奏の話である。この無意識的というか、適当さの次元を導入したようなインプロは、なんなんだろう?山本精一のギターと大きく種類的には大友良英さんなどが似ているといえば似ているのだけれど、大友さんのギターというのは、正しく、大きく、音響的にも圧倒的で、大変説得力を持っているギターに聞こえる。さすが高柳昌行の弟子だけあるとさえ思うことがある。山本精一の場合は、説得力など皆無みたいなもので、わかる人はひとりでにわかってください、みたいなギターだ。精一さんの場合、説得というモメントがすっかり抜け落ちているんだろう。説得する気がないのだ。ただ、俺は俺としてプライドを持ってただ俺が処理した音は出す、という感じでぬぅっと音を出す。その音に僕たち(観客)はびっくりしたり、笑ったり、どう考えてもミスやん!と笑ったり、なんだか怖くなったり、僕は何を聞いているんだろう、となったり、なんで僕はいるんだろう、となったりすることがある。射程が無限大に広がっていく気がする。別の世界への思いだろうか?とにかく、意識している世界とは違う世界が顔を出す時がある。リズム隊もしっかりしていて、とてもいいセッションだった。さまざまな打楽器があったけれど、結局無国籍音楽になってしまうというのは、なんなんだろう。無国籍どころか、音楽のイディオムというか、方法というか、モードが参照不明となって埋もれていってしまう。時折、スカ(レゲエ?)みたいなものだったり、ロック(のリフ)っぽいものが顔を出すかと思えば、何か別のものに消えていってしまう。ノリノリにもなれるものになったりもする。横にいるヤク中が声をあげ、変拍子で手拍子をしたりもする、それぐらいの時もある。そういうのもどんどん消えていって、結局あれはなんだったんだろう、と思う。またしてやられた!しかも話しかけようと思ったら、アバンギルドの店員らしき人がしゃべっててしゃべれなかった!ところで、山本精一は京都ではアバンギルド派閥なのかな?ネガポジでああなのは、そういうことか…。
ジョン・マクラフリン |
焼酎を呑ませていただいたが、ちょっとキツいのばかりだったので、やっぱり酔っぱらう。今日ネガポジでライブをしていたムラカミマイさんも、できあがり、みんなではしゃぐ。先日のディープキス的なこともあったので、はしゃぎ方もひとしおみたいなところもある。今ちゃんとキスしまくり、佐伯さんに耳をすごい勢いで舐められ、とりあえず、ネガポジでは同性にはキスができるんだな、ということを学ぶ。
音速のように時間が経ってしまったのでびっくりした。何が起こっていたのか、何も覚えていない。お歌をいっぱい歌ったのは歌った。ライブハウス閉店後、なか卯でごはんをたべようとすると、佐伯さんが先についている。なんだかよくわからないセンチなことを言っていたような気がするので、一喝する。ムラカミマイがなんか席の端においてあるようなものをとんでもなくこぼしてケラケラ笑う。
これを付け加えやなあかんでん。即興やけども。
Candy says I've come to hate my body
And all that it requires in this world
Candy says I'd like to know completely
What others so discreetly talk about
I'm gonna watch the blue birds fly over my shoulder
I'm gonna watch them pass me by
Maybe when I'm older
What do you think I'd see
If I could walk away from me
Candy says I hate the quiet places
That cause the smallest taste of what will be
Candy says I hate the big decisions
That cause endless revisions in my mind
I'm gonna watch the blue birds fly over my shoulder
I'm gonna watch them pass me by
Maybe when I'm older
What do you think I'd see
If I could walk away from me
キャンディは、自分の身体に反吐がでちゃうっていうんだ。
そして、そのことすべてがこの世界のリクエストなんだなあ。
キャンディは、カンペキに何もかも知ろうと思うと言うんだ!
他のよくわからない人がすごい慎重にしゃべることをよ?
青い鳥が肩の上のほうを飛んでるのを見てますよ
鳥たちが私のところを飛んでいますよ
たぶん歳をとったら
俺は何を見たいとおもうかなあ!?
もし私が私から離れていくとしたらだよ?
キャンディは、静かな所が反吐が出るって言うんだ
だって、どうなるかってのが、ちっこいんだもん
キャンディは、 おっきな決断が嫌だって言うんだ
だって、思うことがずっとずっと心の中で起こるだろう?
青い鳥が肩の上のほうを飛んでるのを見てますよ
鳥たちが私のところを飛んでいますよ
たぶん歳をとったら
俺は何を見たいとおもうかなあ!?
もし私が私から離れていくとしたらだよ?
マクラフリンはすごくいいよ
返信削除たぶんマイルスみたいな役目を果たしと思う
俺にとっては
せやねん!ええがな!ええがな!谷口!!たまにはしゃべろうぜ〜〜!!社会人!!!
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