2012年2月4日土曜日

節分

 長いねん、シャラポア!と、OLの子に言われたので、日記のあらすじを書きます。

〜あらすじ〜
寝てるまに欲しかった本をいつのまにか抱えていた私は喜びのあまり小躍りすると、ベットの底が抜けてしまった。それにしても藤枝静男はやっぱり最高だ…。

次の朝起きると、ガスの点検員が部屋の中に入って来て、僕も知らなかったようなスキマから奥へと入って行ったことに驚く。

みかんを食べてもお腹すいたので、牛丼屋以外の店で何か食べようとしたけれど、牛丼屋にいく。ついでに本を買う。いつもこんなことしているわけではない。

ライブに行く。本当に良かった…。

どんと焼きを見に行く。本当に素晴らしい…。

OLの家に泊まりに行く。そこで恵方巻を食べる。佐伯さんは寝る。


2/2

起きたら、藤枝静男のエッセイ集『茫界偏視』と『寓目愚談』の本の入った封筒を抱えながら寝ていてびっくりした。そういえば、郵便配達の人が朝、来たのだった。たぶん僕は、寝ぼけていたのだ。やったぁ!と思い、ベットの上に立ち、小躍りをしたらベットが軋んで、骨格が浮き上がってしまった。今までベットにその症状の傾向はあったのだが、さすがにこれは腰を壊すかもしれない。このベットは二代目で、前のベットは完全にへこんでしまい、だが、ベット初体験だった僕にとって、ああ、ベットはこういうものなのだな、と思ってしまい、普通に寝ていたら本当に腰が痛くなって困った。なんとか取り替えてくれたが、このベットも、同じ種類のベットなので、本質的な解決にはなっていないのだろう。僕は部屋で小躍りすることもできない。

濃いコーヒーを飲んでも、ぜんぜん眠気が去らない。ボーと藤枝静男の本を読む。さすがに藤枝静男はいいことを言う。
だいぶ前から私小説はまるで日本文学の発達を阻害する毒虫か国賊みたいなあつかいを受け、「もう息の根は止まった」などと書かれて、腹のなかでは 何糞と思いながら、雑誌のうえでは肩身のせまい思いをしつづけている。一方では水ぶくれの冬瓜か子供のシンコ細工みたいな「近代的長編小説」を作る人が好い気になって甘やかされている。なかには感服する作もあるけれど、たいがいはサトリの悪い女大学生向きのものである。だいいち小説を書くうえに不可欠な精神の衝迫がない。自分が何故その小説を書かねばならなかったかという精神の気組みがまるで感じられない。自分に必要のない小説を他人におしつけるのは良くないと思う。
よく思想内容というが、できあがったものが観念小説では仕方がない。そういうものは理屈で読めばなんとかわかるかも知れぬが、私は感覚で読めない小説など初めから小説の資格を欠いていると思っている。
第一作者の人間そのもののなかに骨ガラミとなって呼吸していないものなど、思想ではないと思っている。たとえば極端にいうと、河上肇という人にとってマルクス主義は思想ではなくて、ただの現象解釈に過ぎなかった。彼の思想とは、この解釈を外部から受け入れ、それに心酔し、それによって苦しみ、またある時はそれを疑った、それらの手続きを彼がどういう格好で通過したかという、この格闘自体にあると思っている。(「私小説家の不平」『寓目愚談』収)
 ある方法の枠組みを器用にやる、例えばパワーポップとして音楽をやったり、歌謡曲として音楽をやったりして、それがパワーポップという観念として完璧になったとしても、何の意味もない。それは、自分の音楽をやる動機として不誠実なんじゃないか。そこに自分の精神的な葛藤とか、自分と社会との軋轢とか、そういうのを見いだせなければ、それは借り物でしかない。それでも成り立つマーケットはありますけどね。高尚なオールドジャズとか、私立の文学部とかはそうだろうな。その方法の枠組み自体が、その組織の存続を成り立たせている前提条件で、アイデンティティのようになっていることは、よくあることだ。それはもう、仕方がない。仕方がなくても、闘っていくしかない。難儀なことだ。

2/3

ガスの検査で目が覚めた。ガスの排気口が、つまり煙突が、見えない所にあるらしく、僕の部屋から確認しないといけないらしい。そうですか、どうぞ、と扉を開けると、男の人二人が、部屋の中に入って来、浴槽の上にある丸いフタのようなものを開けて天井裏に入って行った。こんなとこにフタがあることがまずびっくりだ。なんなんだこれは。なんでこんなところにフタがあるんだろう、まぁそれは、ガスの排気口の確認の為だろうが。何か異変がありましたら、ご連絡ください、と言っていたので、やっぱり何か、こういう変な、見えない所に煙突があるというのは、何か異変を催しやすいものなのですかね?と聞くと、はい、何か異変がありましたら、ご連絡ください、とおっしゃった。たぶん僕が悪い。

みかんを食べたが、とてもお腹がすいていたので、でも牛丼屋は飽きたから、少し遠くまでいこうと、川を渡り、京大近くの百万遍まで来たものの、牛丼チェーンのすき屋に行く。もう、どうしようもない。せっかくここまで来たので、古本屋を覗く。なんだか、こうしてみると、毎日本を買ってるみたいだ。別にいつもこんなことをしているわけではない。本なんか読んでいると、性格が暗くなる。読むか読まないか、というのでは、読まない方がいい。しかも、ある種の本は、毒を含むし、ある種の本は呪いを受けることがある、と聞いたことがあるので、本など、読む必要はない。本を読むよりも、友達と呑んだり、バンドをしたりするほうが断然いい。もう僕たちには、話すことしかない。本は何も教えてくれないし、教えてくれたとしても、教えてくれていないことと一緒だ。本を読んではいけない。本は隠れて読もう。ここで、竹内宏や飯田龍太の句集があったので、買ってしまう。安かったので、筑摩現代文学大系の、『埴谷雄高・藤枝静男集』も買う。ついでに薬局でテッシュを買う。京大前の薬局はにぎやかで安い。レジの女の子は利発そうな顔をしながら会計を打っていた。それにしても私はどうしようもないバカで、何もできない。お母さんごめんなさい、おばあちゃんごめんなさい、先生ごめんなさい。私たちの家系は所詮男子は屑みたいな人間しかできないのです。もうこうなったら僕は何か別の物に変わるしか、申し訳が立たない。でもいまさら女になることもできない…。

家で『埴谷雄高・藤枝静男集』収録の、藤枝静男「私々小説」を読む。久しぶりに藤枝静男の小説を読んで重大な見落としがあるのに気づいた。藤枝の小説には、本当は、怒りが充溢しているんじゃないか。さまざまな、実体のある不甲斐なさにいらだつ、そのことだけが書かれている、内容の主題としては、そのことだけが、書かれているのではないか。結核が家族のほとんどを蝕んだことも、自分の性欲のことも、皮膚の痒さも、それに苛立ちながら向き合っている。仕方がないから、それとそれがもたらす感情と歩んでいるのだなぁと思っていると、バンバンボリーズの佐伯さんから、しのやまさんがシルバーウィングスに出るという知らせを受けるので、すぐに行く。

このシルバーウィングスのブッキングがまた良かった。本当に良かった…。元気になった。 ちゃんと自分の音楽をもってやっている人が身近にこんなに居て、魂を持ってこんなに音楽をやっている人が居ることを確認させてもらい、僕は本当に心を動かされた。久しぶりにソロを見させてもらった、しの山は本当に音楽だった。しの山は偉い。京都一だ。今度東京に行く時、音源を友達に配り歩こう!
今日と言う日を幸せにする方法が
きっとあるはず知らないだけで
なんでもありのたった一人さ (しの山「おでかけ」より)
音楽でも何でも、世の中は偏見に満ちていて、定式をこなせばいいと思っている。退屈じゃなければいいと思いながら、飾って、そういう風な音楽をしても、結局それは退屈の隠蔽でしかないから、むしろ退屈と向き合っている退屈な音楽よりもタチが悪い。そういうものばかり偉くなって、楽しければいい、踊れればいい、目立てばいい、という人が増えているみたいだけれど、退屈の上塗りでしかない。楽しい?快楽?そんなの退屈でしかない。ヤク中は死ね!

その点、しの山さんは偉い。本当に偉い…。ちゃんと物を見ている。物を見て、ちゃんとそのことをしゃべっている。ギターということは何かを逆に意識させるアカペラの曲、「はなうた」「アルバイト」「つけまいチャンス」はすごい。偉い!そのノリで、「火にガソリンを」も、演奏をするということを問いなおしているように聞こえる。そういうのが、全然偉くもなく、くだらなく聞こえているのが最高に偉いし、泣けてくる。まず笑ってしまうんだけれど、そういう意味では、シャラポア野口は、しの山さんのフォロワーなんですね。

今日はシルバーウィング創設史上最高のブッキングの夜じゃないだろうか、それぐらいみなさんが輝いていた。ブッキング担当ののぼりやまさんともおしゃべりさせていただいたし、もう思い残すことはない…。

佐伯さんと一緒に吉田山をのぼり、どんと焼きを見に行った。この日になると、毎年燃えている。それがすごい火力なのである。僕たちが行った時には、なんだか屋台はすでに撤収の準備をしていて、祭りの後感がハンパではなかったのだけれど、ちゃんと、火は燃えていた。お札の燃えるその熱が、顔に来て、熱いぐらいだ。炎は燃え盛るのだ。お札の数が多いからなのだろう。いや、違う。薪の数が多いのもあるのだろう。だから、炎は燃え盛るのだ。そういう工夫はよく分からないが、炎が燃え盛る様が、なんかよくわからない抽象的なお化けに、お札の燃えカスがそうさせるのだろう。

呑みなおそう!ということになって、中根さんというOLの子の家で呑みなおすことになったのだが、佐伯さんがその家ですぐ寝てしまったので、帰ってきた。

3 件のコメント:

  1. いやや
    おれはぱわーぽっぷになりたい

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