この一週間は完全に何もしていない一週間でしたね!ここ四年ほど、アイデンティティを壊そう、壊そう!という方向に向かって生きていたら、私は、なにものでもなくなってしまい、なにもしなくなってしまいました。これはいけないことじゃないのか、これじゃ、ただのなまけものだ!と思いながら、さらにアイデンティティはなくなって行き、 気づけば僕は、何ものでもなくなってしまいました!これが都市生活の恐ろしさか…。自分がなくなる、なくなる!ということは、例えば石川啄木が
ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聽きにゆくなんて歌をうたっており、この句碑が、実際に東京の上野駅のホームにあるそうなのです。http://members.jcom.home.ne.jp/nobish/1211takuboku.html
こんなのがホームにあるということが、何かとてつもない感じがするのですが、どうでしょう。駅というのは、それだけで文学だ!群衆というのは、とてつもなく文学だ。啄木がまず文学だ!彼の日記をパラパラとめくると、とても感傷的というか、自意識を感じて、うわぁ、文学だ!と思ってしまう。
8日 木曜日深沢七郎は「風流夢譚」という小説で日本の皇太子を殺したので、右翼の襲撃にあい、放浪のあげく、北海道までいってしまったそうだが、この小説では、和歌の感傷性への猛烈な皮肉を見受けることが出来る。歌で自分の心境を読み込み、自分の物語をもっておよよよ!と感動させるなんて、バカだ!という風になっていたと思う。そうだよな、貴族みたいだよな、と思いながら、センチメンタルについて考える。
たぶん隣室のいそがしさに、まぎれて忘れていたのであろう。(忘られるというのが、すでに侮辱だ:いまの予の境遇ではその侮辱が また、当然なのだ。そう思って 予はいかなることにも笑っている。)起きて、顔をあらってきてから、2時間たっても 朝めしのぜんをもってこなかった。
予は考えた:予は今まで こんな場合には、いつでも だまって笑っていた。ついぞ おこったことはない。しかしこれは、予の性質が寛容なためか? 恐らく そうではあるまい。仮面だ、しからずば、もっと残酷な考えからだ。予は考えた。そして手をうって 女中を呼んだ。(略)
春の鳶寄りわかれては高みつつ
次兄は昭和十六年に病死。長兄・三兄は戦士してしまった。帰郷して専ら農耕に従った。六十円で牛車を新調した。黒の和牛と、赤の朝鮮牛と、二頭買った。
そんなある日、野路で見かけぬ青年に声をかけられた。よく見ると二十年ぶりで会う中学の同級生で、いまこの村の小学校の先生をしているという。工科を専攻し、天龍川の奥で現場監督をしたり、日活映画の助手をしたり、その他、いろいろの職に就いたが、身体をこわして田舎に帰ったという。中学校のころから琴を弾いた。「お嬢さん」という綽名にしては、すっかり頭が禿げて、最早美少年のおもかげはないが、自分の来し方を語りつつ、傍の菫を摘んで、山村暮鳥の詩が大好きだと言った。そんな二人の上を二羽の鳶が弧をえがきながら鳴いた。
しばらく甲府にいたことのある野尻抱影氏が、この句を見て、明治のころは、甲府に鳶を見かけなかったが……と、どこかに記していた。いまも数はすくないようだ。それでも早春、晴れた日には時折見かけることがある。
飯田龍太の句の中にある言葉というのは、どうしてこんなに広くて大きいのだろう。言葉がこんなに大きければ、個人的な心境なんか、どうでもよくなってしまう。こんなに意味のある世界にいるのだから、みたいな気持ちになる。ここで言うそれは、句の外に、様々なものの動きを想像させる、みたいなことかもしれない。
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