みなさんキャンプに行ったようですね!雨降ってるけど、楽しんできてください!昨日とおとついの分の日記を書く。
夜になると、谷内くんから連絡が来る。谷内くんは今、バンド「ガセネタ」や「タコ」などでも活躍した批評家の大里俊晴の弟子のワタナベミホの下でバイトをしている男の子である。彼は歌も歌う。少し前に引用した、「化粧」、「霧」という歌を作った人である。僕はそれをオマージュした文章を書いてみたけれど、あまりうまくいかなかったので消したいが、もう遅い。それに僕はアーカイブ魔なので、そういうのもとっておいて思い出にしたい、どうせ死んだら全部一緒で、
全部おもしろいんだ、と思っていると、パソコンが壊れて、僕が高円寺で急性アル中になってフラフラになり、くたばったり吐いたりしたり救急車に乗っている時に友達(=2くん)が撮ってくれた50枚ぐらいのポートレートや、教習所の合宿が辛すぎて、やけになって撮ってくれた写真がすべて消えてしまって、悲しい。この写真を撮ってくれたのも、2くんだ。2くんのお父さん!どちらかというと、僕は2くんのせいで、ボンクラみたいなチンピラになったのですよ!ところで、谷内くんも、少し頭がおかしくて、頭脳破壊してくれて、取り返しがつかない。
谷内くんの歌は、総合すると僕はどうやら山本精一の次によく聞いているようだ。今一番聞いている人は高橋悠治という人だ。聞いてあげてください。谷内君の歌は、売れないかなぁ。テツオさんとフリージャズレコードを作ったら、谷内くんの歌の全集を作りたいぐらいなのだけれど、買ってくれますかね?とりあえず、普通に東京にあるという、エンバンとかに持っていったら、いいのかな?もし、フリージャズレコードを作って、何か谷内くんのアルバムを作ったとしたら、東京から京都へ、
招聘しなくてはいけないのかな。でも彼はシャイだからなぁ…。jandekみたいに、半分覆面みたいにしても、いいと思うけれど。少しおかしい、と書いたけれど、それは言葉のあやで、彼はだいぶおかしい。欲望の前提が、少しおかしい。少しおかしい、と書いたけれど、だいぶおかしい。彼のおかげで、僕は、よけいな欲望や意思を、抱え込まずにすんだ、という面はあるが、それは僕には欲望の前提がおかしい、ということではなくて、僕は誰よりも普通に、自然に欲望を持っている、と思っている。というか、こんなに谷内くんのことを書いていいのかな…?まぁ、中身がないからいいか。谷内くんと徹夜で会話をしたけれど、すべて忘れてしまった。徹夜で大富豪をした。それは谷内くんが指示した。
8・16
いつもお世話になっている、OLの女の子の住んでいるマンションには、屋上がある。私たちが住んでいる町は、京都市であるので、八月十六日には、送り火がある。その屋上には、大文字、妙、法、船、左大文字、が見え、鳥居だけが見えない。よくこの屋上で、月一でバーベキューをするのだけれど、送り火を見るのにこれほど立地のいい場所というのはない。バーベキューに誘われた。約束の時間に部屋に行くと、OLの女の子と、あーちゃんだけがいた。あーちゃんというのは、和歌山出身の、今東京に在住しており、ライブハウスで裸の女の子を登場させた横でつくねを売って、それが意外と本当にお金になってびっくりした、と言っていた、東京では黒人しか友達がいない、ヤバい男の子のあーちゃんではなくて、女の子である。みかんのかんずめを凍らして作ったデザートを振る舞ってくれた。
「アカネイロヒキ」というバンドのドラムをしているコウジロウさんが、わざわざ京都の台所である、錦市場まで、バーベキューをする場所まで、御所を越え三キロぐらいはあるところをおつかいに行ってきてくれたらしいが、お目当てのサザエはなかったらしい。サザエは何かの貝がねじれて、そのDNA構造が伝達されて、今、存在している生物らしい。詳しいことはわからない。抱きしめたが、汗まみれだったので、汗まみれだなぁ、と思って抱いていると、汗まみれだったので、汗まみれだなぁ、と思いながら抱いていることを悟られたのだろうか、汗まみれでしょ、と言ってくれた。確かに、汗をかいているようだった。
たくさんみなさんが集まって来て、みんなでビールを飲んでいると、「ボックスホール」というライブハウスで働いている、東京の大学に在籍していた関東人であるのにわざわざ京都に来てライブハウスのブッキングや企画などをして活躍しているおのまんさんがいらっしゃった。おのまん、というのは、本名らしい。びっくりした。おのまんさんはどこかで見たことのあるような女の子を連れてきたと思ったら、長尾蕗子さんという、僕が昔、ミニマルノイズパンクバンドでギターを弾いていた時、
対バンをした女の子だったようだ。それは、僕が昔、ミニマルノイズパンクバンドの一員だった時だったので、二年ほど前の話だ。またこうして出会うとは思わなかった。僕が彼女の弾き語りを見て、「祈りがある」と僭越ながら、言ったことがあり、そのことをとても大事にしてくださっていたようだ。確かに、そのようなことを、言ったことを覚えている。ライブを見に行く約束をする。バンドやっているんです!ギターで参加してくださいよ!わめいているのも良かったです!
なんておっしゃる。マジで!?あの悪名高いあの僕のノイズギターを?嬉しい。僕のギターはキレキレだったので、神戸のライブハウスでしか、評価されなかった。京都の人は軒並み、あれは悪ったな、と言う。そういう時は、あれは僕も勘違いしてたんすわ〜、と答えるようにしていて、実際その節はあるのだけれど、あながち勘違いではないのだろうか。いや、勘違いだろうな。吉田寮の祭りの時、山梨出身の元カノ(モモコさん)を呼び、ワンダー3というバンドでキーボードとオシュレーターをしたことがあるが、
最後のオシュレーターソロで、痙攣しながらノイズを出していたら、モモコさんは引きまくって、それから二度とライブに来てくれなかったが、そのモモコさんと一緒に来ていた女の子は評価してくれて、CDを買ってくれた。芦屋に住んでいるクラフトワーク好きの女の子で、名前は確かホウさんと言った。長尾さんはどうやら大阪でも活躍しているようである。OLの女の子は変な果物を長尾さんにお土産として渡して、「ぶつけたら酸っぱくなるから、絶対にぶつけたらダメだよ!」と言っていた。おのまんと自転車を二人乗りをして川辺を走り帰っていった、って、今は条例があるから、こういうことを書いては、まずいのか。まぁ、いいか。日記じゃないし。
たくさん食べて、何も入らなくなった。トントロはおいしい。ほたてもうまい。なにもかもうまい。そういう調子で食べていると、何も入らなくなって、苦しい。あのさぁ、おいしい、ということのために、何か語彙をもって話さないといけないのですかね?気が利かないとかなんとか、言ってますが、そんなことのための頭の良さなら、僕はいらないです!と、二ヶ月前ぐらいのことを今書いていて思い出して良くない。こんなに食べたのは、ビアホール以来であるが、「エンパイアめだか」というバンドの主宰であるエンペラーさんは、まだ市販の唐揚げを食べるそうだ。すごい。そこでエンペラーは、
「唐揚げはお酒にも合うし、ご飯も食べれるし、万能だよね!すごい発明だよ!」
「ハハハハハハ!」
こういう会話をした。OLの女の子のタイに行ったときの写真や、友達の結婚式の時の写真や、大学の卒業式の時の写真や、成人式の時の写真を見させてもらう。あまり変わっていない。京都のバンド界隈の人というのはみんな若くて、みんな僕と同い年みたいに見える。さすがに成人式の時の写真は、ちょっと違った。そういうことを言うと、喜んでいた。四時ぐらいまで居着いた。半身浴をして寝た。
8•17
なんかものすごく寝てしまって、気づけば夕方。これはやばいなぁ。何か食べにいこうと思い、外に出ると、テツオさんと源さんに出会い、そのままつきなみに行く。つきなみは、アレクサンダースやヤングマイルドチャイニーズで活躍されている昆布さんがやっている喫茶店です。今日の昆布さんは取っ付きやすくて、よかった。ご飯ものをしばらく自粛している、というので、コンビニで焼き肉弁当を食べる。何も食べていなかったのだ。源さんは今日は特に調子がいい。雷が鳴りだした。雨が降られると、困る。テツオさんと元田中のうどん屋で飲んでいたそうだ。そのうどん屋なら、僕はある人と何回か行ったことがある。なので、安くておいしい店だな、ビビンバうどんがあるんだな、という風な話も、僕は分かる。あそこにソバがあるということや、店主がおやじロックフェスティバルで関西地区一位通過であるということは、知らなかった。「おやじロックフェスティバル」というフェスの名前は、もしかしたら違うかもしれない。
八時ごろになると、林拓さんと鴨川でセッションをする。最近「ユリシーズ」というアシッドフォーク?の雑誌や、ガケ書房などで取り上げられていて、話題沸騰しているような気がする。ケイブンシャという京都ではわりかし有名で東京の人までその名前を知っている人がいて困るが、本屋である。その本屋の近くの町内会の掲示板に林拓さんのポスターが張ってあって、なんだか風景が違う。僕は誇らしい。名古屋の「ブラジルコーヒー」という喫茶店で、僕はアレクサンダースに混じってハーモニカやドラを演奏した。一緒に呼ばれた林拓さんが、どうやらその僕の演奏を気に入ってくれたみたいで、セッションをすることになった。どうやらそのときの動画があがっているみたいで、形になって嬉しい。
雷が鳴っていたこともあり、セッションは叙事詩の中みたいだった。なんかこのようなことをどこかで書いたような気がするが、どうやらツイッターでそのようなことをつぶやいていたみたい。大澤信亮(おおさわのぶあき)は、著書『神的批評』に於いて、柳田國男という人を論じる程で、歌についてこう述べている。
すでにあった歌は協働のなかで複雑化していく。そして声が生まれる。声を発せられる者が歌うのではない。逆だ。歌が先にある。いや複数の歌がある。それが協動作業の中で声へと一元化されていく。(略)たとえばルソーは、音声言語の誕生について、神が人間に話すことを教えたとか、神の摂理が人間同士を近づけたと言った。神かどうかは知らないが、家族的に歌われていただろう初期の人類の歌は、他者との出会いのなかで声へとかたちを変えた。より正確には「歌」と「声」に分かれた。しかし、かたちを変えたところで、私たちの情動を激しく揺さぶったり、安堵させたりする言葉の力は変わらない。歌は声に先立ち、歌の情緒性が、人への働きかけ(ex労働)を発達させた、と言っている。そしてそのような叙情性を秘めて出来た、言葉はどこへ向かうのか。
言葉は「私」のためにあるものでも「社会」のためにあるものでもない。ちっぽけで、どうやっても、お金も、楽しみも、人も、車窓の風景も、結局ほとんど何も所有できず捕われてしまっている「私」 が、生まれ変わるために必要な協働とは、何か。私が決して所有できないものに対して向かっていくのか。それが、「永遠」であったり、「大地」であったり、「普遍性」だったりするのではないのか。イスラームの神すなわちアッラーは、無数の贈り名があり、無数の属性があるが、それは「永遠」であったり、なんだったりする。まぁ全てなんだが。そういう圧倒的他者に対する想像力として、神という概念はもしかしたら、役に立つのかもしれない。神は私たちと共にある。まぁ、何を言ったって、圧倒的な「自然」や「現実」には、ちっぽけな私にはかなうはずかない。僕は何を言っているのだ?何となく、昆布さんが、「批評家の言ってること違うねん!林拓の歌にはもっと生活から出てきた歌っちゅうのがあんねん!」って言ってたことを思い出す。林拓さんのアルバムは『オデュッセイア』と言う。普段は林業や農業をしたりして働いており、子供がいる。歌ってのはとてもフランクで、神は別に神秘的なものでも何でもないのかもしれない。歌のことばかり考えていても、仕方がない。そんなことしなくても、生き方に、歌は勝手についてくる。流れるだけ。他者を所有しようとしても、所有できない。ただ、俺には歌しかない!だとか歌のために死ねる!だとか、歌のために何もかも捨てる!だとか言っていると、必死にもなれ、歌を量産するモチベーションにはなるかもしれないので、したければすればいい。だが、それは特に善であるわけでもないし、特別満ち足りる道である訳でもなければ、音楽をしている人の使命でもない。(坂口安吾は、おもしろいと思うけれど、人を頓死に向かわしているように見える。)そう思っているので、自然や生活に従いながらなんかすごい歌を歌う林拓さんには、勇気をもらうのだ!
神のためにある。それは「私」や「社会」による所有を超えて永遠に開かれている。(略)
しかしそれでも彼(注、柳田)の原理には限界があるのかもしれない。
なぜなら現実を覚醒させるためには「他者」が不可欠だからだ。
目の前の他者との協働 が、すでにそこにあった歌を「声」に変えた。
文字という他者との協働が、すでにそこにあった声を「言葉」に変えた。
資本という他者との協働が、すでにそこにあった話し言葉と書き言葉を一つの個体の内部に統合し、それによって一人の人間を近代的主体としての「私」へと変えた。
それでは、今ここにいる私が生まれ変わるための協働とは何か、他者とは何か。
我が青春は淪落だ、と僕が言った。然して、淪落とは、右のごときものである。即ち、現実の中に奇蹟を追うこと、これである。この世界は永遠に家族とは相容れぬ。破滅か、然らずんばーー嗚呼、然し、破滅以外の何物が有り得るか!何物が有り得ても、恐らく満ち足りることが有り得ないのだ。(坂口安吾「青春論」)そんな青春は僕はいらない。だが、何かを量産するエンジンにはなるかもしれないので、そういう考えもありだとは思う。…。うわぁ、僕何か、ヤバいこと言ってない?
0 件のコメント:
コメントを投稿