(続き)
ウメノくんが九州に行き、今頃は立派に会社員になっている頃だろうが、その会社は一年間寮に入らなくてはいけないらしく、新生活ということに僕もドキドキさせてもらった。それが確か三月の二十一日だとか、その辺りだと思う。今日ゼミに行くと、ウメノくんの友達という人が、声をかけてくれた!僕がウメノくんのギターを持っている写真を、見てくれたようだ。なぜ僕がウメノくんのギターを持っていたかと言えば、僕がそのギターを、貰う為だ。ウメノくんに貰うギターは、これで二本目となる。ついでに本だなとベットシーツももらった。この本棚には後ろの板がない底なしだけれど、ちゃんと使えております。ベットシーツはとても上等のものでしょう!寝心地が20倍ぐらい違います。誰もが、そう言っています。ありがとうございます。
今月は二、三週間連続で呑んだ。その内に、二回ほど引っ越しの手伝いをした。その時は確か雨が降っていたので、藤谷さんとアベちゃんが迎えにきてくれた。しょうじさんと小林さんが一緒に住むというので、荷物を運んだ。これが一回目の引っ越しの手伝い。小林さんが住んでいた、吉田山のふもとにあるアパートは、元々連れ込み宿だったらしく、障子が金ぱくだ。お風呂はあるが、トイレは共同らしく、キッチンは共同だ。 四畳半の部屋に障子の仕切りがあるので、二つの部屋がある。白くて工作ができるような立派な机があった。それを運ぶには、ドアをバラして、取り外さなければならない。荷物を運んでいると、おばあちゃんが、電気をつけてもらいなさい、電気!ここ電気がないと暗いでしょう!大家さんはそこにいるから、電気をつけてもらいなさい!それにしてもたくさんの人が引っ越ししていく。昨日も引っ越ししていた人がいたような気がする!あなたは一階に住んでいた人でしたよね?とにかく電気つけてもらいなさい!電気が全然つかないんですよ!おかしいなぁ、という風なことを言っていたような気がする。少しエキセントリックだけれど、愛嬌があっていいおばあちゃんだった。
高野の方にあるしょうじさんの家には、机が五つぐらいあったので、びっくりした。それにしても、町家っぽいいい物件で、とても素敵だ。光がいきいきする風の木を使った家だった。ものすごく座り心地の良いソファーがあり、とりあえずそのソファーを川辺において座り、休憩とした。こうやって座りながら、ビール呑めたら、最高やな!と藤谷さんが言う。やりましょうやりましょう!外にソファーがある、ということが、良い!この時の模様は、写真におさめられているので、ソファーで僕と藤谷さんとアベちゃんが写っていることが、わかる。お昼ご飯は、タイ料理をごちそうしてもらった。春雨というのは、あまり食べたことがないけれど、さっぱりしていて、とてもおいしかったです。ありがとうございます。メニューの一番前にある、高さ五メートルほどのビールタワーに、とても興奮した。全然安くなってないけれど、ロマンロマンしている。全然安くなってないけれど…!それにしても、僕たちは、よくお酒を呑む。僕はペースが速いが、それは若いせいだ!呑み方が若い!とOLに言われた。そこに行くと、ちえさんあたりは、本当にペースが、速いんじゃないか。酒豪である。僕の友達の2くんも酒豪で、どんだけのんでも酔っぱらったことを見たことがない。呑み比べをしてビール八杯に日本酒六杯を呑み、道ばたで倒れ、気づけば病院にいたことがあったが、その際に、2くんは僕の酔っぱらい倒れて行く様を写真に撮っており、それはものすごいドキュメント性を持っていると思う。それは三年前の話で、2くんはそんなにお酒が好きではなさそうに思える。僕も一人では、あまりお酒は飲もうと思わない。お酒を呑むのは、みんなと一緒になりたい、と思いながらみんなで呑むもので、一人で呑むときは、みんなと一緒になりたい、と思いながら呑む。みんなと一緒になる、ということは、現実的には、めちゃくちゃになりたい、自分が自分であることを忘れて、めちゃくちゃになりたい、と思う気持ちがあるので、そこだけ見ると確かに僕は結局、無頼派のような一種の破壊衝動を持って呑んでいるように見えるかもしれないけれど、僕は、みんなと一緒になりたい、と思いながら呑む。
その一週間後、アレクサンダースなどで活躍している昆布さんと、後輩の引っ越しのお手伝いをした。これが引っ越しの、二回目である。後輩は、歓楽街に住んでいたので、目の前がラブホだったりする。その隣には縁切り神社があり、のっぴきならない場所だな、だとか、街というのは上手くできているな!という話を昆布さんとした。この歓楽街というのは、実は祇園のことなのだが、このような街らしい街は、街が一つの身体のようになっているようにも見える。後輩は、この春からこの街に住む妹と一緒に住む為に、銀閣寺の方に引っ越すそうだ。いいことだ。銀閣寺の近くにある後輩のアパートは、階段が吹き抜けているようになっていて、それが解放的でオシャレだ、ということもあるのだが、歓楽街と銀閣寺あたりの場所というのは、もう全く違うのだ、ということを改めて知った。もう風が違う。具体的に言うと、ツタが生えていたり、昔ながら、どうしてか維持している家々が並んでいたり、細い路地に変に説得力を持ってしまうような生活実感を持つ家が並んでいる、という風に、この辺りは作られている。もちろん、あの歓楽街にも、何か生々しい魔性さの伝統/歴史が息づいていると、感じることはある。僕は荷台に乗り、荷物が倒れないかみはっていたが、案の定冷蔵庫が不安定だったので、縦にしてあったのを横にした。荷台に乗っていて良かった!そうして寝転んでいると、空が青かった。軽トラが走るところは四条通といって、大丸など、商業ビルや銀行のビルが立ち並び、歩行者が歩く道にはアーケードがあるので、四条通の空が青いことなんて忘れていたけれど、確かに四条通の空は青かった。自動車には速度があり、信号では止まるので、ずっと寝転んでいると遠心力がかかり、頭を強く打つ恐れがあるので、ずっと寝転んでいる訳にはいかなかったのだけれど、時々寝転んでいる。タクシーの運転手が僕のことを見る。個人的なのパレードのような気がする。橋を渡り、回転寿司を食べに行く。お礼ということで、後輩がおごってくれました。ありがとうございます。ほたての貝柱がシャリよりも大きく、溢れんばかりで、しかも上手かったです。ありがとうございます。後に昆布さんと、引っ越し会社の仕事をしよう!という話が出る。「お礼は全部ご飯にしてもらうねん!」この日は、銭湯も、屋台のおでん屋さんも、昆布さんの家で出してもらったチャイも、とてもおいしかった。チャイにはちゃんとシナモンが入っていた。
2012年4月10日火曜日
2012年4月9日月曜日
日誌!日誌!
山本直樹に『堀田』という漫画があり、その漫画は場所が知らぬ間にどんどん飛躍してゆき、その飛躍に気づいた登場人物に「あれ?」と言わせる漫画のような気がするが、僕も呑むとそうなる。僕はふとんで寝ていることを確認して「あれ?」と思い、思うことで昨夜何があったのか、とか、近い、2ヶ月ぐらい前のことを思い出す方向に自然と頭が向かう。昨日は友達の家で飲みのみしていて、ワインをガブガブ飲んでいたのだ!さすがだと思うのは、ワインはあんまり残らない。むしろお腹の便の様子がなんとなく確認できて、お腹の調子が良い。外に行こうと思うが、朝なので友達の家には誰もいないので鍵大丈夫だろうか?と思い、ふと寝室のドアを開けてみたら藤谷さんがツイッターをいじっていた。これから、時々、その名が出てくるかもしれない、藤谷さんという人は、ミュージシャンで、たいへん魅力的な声をしている、というのは、小島信夫の『残光』という小説の頭で、僕は二、三人にこの小説を配っているし、これからも配るかもしれない。でも400円で新潮文庫で買えるので、読んでみてください。藤谷さんは、モルグモルマルモというバンドをやっている。
僕が風邪をひいている間に谷内や2くんなど、昔からの友達が次々と小説を書き出しており、2、3年前から小説をていた僕は今こうやって日誌を書いている。同い年で「サニコン」というバンドをやっていらっしゃったウメノくんは九州に帰り、その時にギター二本と本棚とベットのシーツを貰い、「日誌楽しみにしています」と言って帰って行った。僕も彼に何かできたらいいと思い、何か卒業の言葉を送ろうと思っていたけれど、この二週間飲み歩きしていることになり、日誌を書く暇がなくなっていた。骨盤が外れたとツイッターで呟いていたけれど、大丈夫ですか?離れた距離を埋めるために、僕は書いております!
知らない町のかつての人 空から降り続く雪、積もるこれを今聞いている。ギターのサトタツ(佐藤達也)さんは
モルグモルマルモ初の全国流通音源「おなかのなかみ」が以下のサイトで予約開始しております!フルアルバムどす。まだジャケ写すらあがってませんが、よろしゅうに!http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B007S1K090/twmuy-22 http://tower.jp/item/3088376/%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%BF http://www.hmv.co.jp/product/detail/5021042というツイッターをしていたので、リツイート(引用のようなもの)をさせていただきました。聞いてみてください。 ちなみに小島信夫の『残光』の始まりは「これから、時々、その名が出てくるかもしれない、山崎勉さんという人は、英文学者で、たいへん魅力的な声をしている。」という出だしで始まる。続けると、「この人は、前にぼくの八十八歳の祝いの小さい小さい会が催されたときに最初に演壇にあがってしゃべってくれた人である。そのあとに続いて、保坂和志さんがぼくのことを語ってくれた。その一部始終は、「青ミドロ」というタイトルで、当時出た「新潮」に載っている。」…………
僕が風邪をひいている間に谷内や2くんなど、昔からの友達が次々と小説を書き出しており、2、3年前から小説をていた僕は今こうやって日誌を書いている。同い年で「サニコン」というバンドをやっていらっしゃったウメノくんは九州に帰り、その時にギター二本と本棚とベットのシーツを貰い、「日誌楽しみにしています」と言って帰って行った。僕も彼に何かできたらいいと思い、何か卒業の言葉を送ろうと思っていたけれど、この二週間飲み歩きしていることになり、日誌を書く暇がなくなっていた。骨盤が外れたとツイッターで呟いていたけれど、大丈夫ですか?離れた距離を埋めるために、僕は書いております!
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