goldenは「黄金のような」という形容詞であり、goldに比べるとちょっと「金メッキの」的な意味に近いと聞いたことがある。
つまり僕が過ごしてきたゴールデンウィークは金メッキ週間だったわけだ。
今年、本当の黄金週間(gold week)を過ごす事ができたおかげで、その事に気づいた。
大抵後半になってくるとメッキが剥がれて、10話分位のサザエさんブルーに苛まれるのが常なのだが、今回は剥がれても剥がれても金だ。
田村で金、谷で金、母で金、議員では金、みたいな。
金といえば、暴力団の組長となった金正日が構成員を連れて公園でBBQをする夢を見たが、それは多分golden weekからインスピレーションを受けた訳じゃなさそうなので、ここでは割愛しよう。
昨日はおのしほうが札幌時代から付き合いのあるという、ゆきおが三重から来ていた。
何故か、というか訳あって我が家に。
僕も三重出身なので、三重が二重になった。
おのしほうは赤福を食べた事があるだけで三重とはそんなに縁がないようで、三重で三重に成れなかった(鳴れなかった)のは残念であるが、今後の課題としてお伊勢参りをしてもらおう。
golden weekには毎年golden slumbersを聴くようにしてるのだが、昨日は完全にgold
slumbers(ともすればcold sleep?)に落ちた。アビーロードは後半のメドレーが今イチ不完全な印象が拭い去れないのだが、golden
slumbersのポールが歌う「ララバーイー」で終われば良いと考えていたことがある。しかし今考えてみたら大した良いアイディアでもなかったことを、昨日のgold slumbersから直感的に教わった。かといえthe endで迎えるthe endに首肯できないことには変わらず、何か進歩があった訳ではない。
最近呑むことが多く、ここ二、三ヶ月は毎日呑んでいる気がするが、おのしほうはよく見る。約束をしていなくても会う。もちろん約束をしていても会う。約束をしていなくても、さりげなくそこにいる。すばらしい。ところで、しばらく日誌を書いていなかった。それは、最近呑むことが多く、この二、三ヶ月毎日といっていいくらい呑んでいるからだ。本を読む回数も減った。それは、この二、三ヶ月ずっと呑んでいるのが原因になっているような気がする。吉田山の節分のどんと焼きの日からずっと呑んでいるような気がするが、どんと焼きの日からずっと呑んでいるとすれば、三ヶ月呑んでいることになる。この二、三ヶ月のことは、書いてみたらおもしろいだろう、というようなことがたくさんあったが、書いていない。頭の中で文章のフレーズを組み立てて、満足することはあったが、言葉にならない言葉なんて初めから何もないので、それは何でもない。ようで、もしかしたらまたマテリアルに触れたら組み立てたプラモデルを押し入れから出すがごとく、口からこぼれることもありそうだ。
まあそんな感じで、中途半端なまま「ララバーイー」。